ジャンムー・カシミール州 ラダック・ レー 投稿者:ドルジェ金子さん
レーはラダック地方で最大の町、標高は3500mもあって富士山(3775m)にちかい。従って空気がうすくデリーから飛んできた場合は頭痛と吐き気など高山病の症状がおこる。シュリナガルから時間をかけて来たのでそんな症状はなかったが、少し坂や階段をあがると息切れがする。
2016年4月22日(金)公開
10日目 2015年9月1日(火)
アルチ Alchi は狭い所なのであとにして、午前中は隣のサスポルにある洞窟を見に行くことにする。バスを待っていると韓国人の若い女性と一緒になってどちらからともなく話しはじめた。美術に興味があってここに数日滞在しこれからレーに移動するとか。その後またティクセで会う事になる。
写真右はサスポル洞窟から見るインダス川。
バスの乗客は学校へいく子供たちや女性が多い、20分でレーに向かう幹線道路沿いで下車し、アプリコットの森をぬけ洞窟へむかいやっと入口へ着くが、木製の扉に錠がかかっている。また来た道をもどり何人かに尋ねると道路沿いのゲストハウスに鍵があるという。
行ってみるとマウンテンバイクで踏査しようとしている外国人の客がチェックアウトするところだった。鍵について尋ねると、中でお茶でもと招待されてしばし休息した。裕福な家族らしく立派な伝統的チベット建築をゲストハウスに使っている。
サスポル Saspol には数箇所ちいさな洞窟があっていずれも内部に壁画があったようだが、現在残っているには一つしかない。岩がむきだしになった天井の狭い洞窟、その四面の壁全面に仏画が描かれている。その中にアミダ仏もあったが、日本の阿弥陀仏とはだいぶ違う。 最近修復のためスタッフが滞在し、その器具を保管するため施錠していたのだ。先ほどのゲストハウスにあったが、この石窟についてちょっと大袈裟な題名だが Ajanta of Radakh, Gon-Nila-Phuk Meditation Caves Saspol という立派な本がジャンムー・カシミール州政府から2012年に出版されている。本文は英語で22ページ、同様の内容がヒンディー語でも書かれていて、壁画の写真を主とした本だ。 |
帰りはバスの時間がわからないので、7、8キロの道をアルチ方面へ歩き始めた。インダス川を渡ったあたりで、外国人観光客のチャーターした車が通りかかったので手を振るとアルチまで無料で乗せてくれた。ラダック地方は交通が不便なので車を持っているものが、通行人を乗せてやることはごく普通の事なのだ。僕も最初に訪れた2006年は車を貸し切って各地を訪ねたが、途中歩いていた子供たちなどを乗せてあげた。
午後は神谷武夫の『インド建築案内』によると美術史、建築史上最も重要だという11世紀に描かれた壁画が大量に残るアルチ・チョスコル・ゴンパ(僧院)を見て回る。入口を入ると新堂、三層堂、大日堂、翻訳官堂、文殊堂の5つのちいさな木造の建物が狭い境内に横に並んでいる。そのいずれのお堂の内部にも壁に素晴らしい仏画が描かれており保存状態も極めていい。日本人にも馴染みのある大日如来や曼荼羅(mandalaは本来、集団の意味)もある。主尊をとりまく人物の顔を仔細に観察してみると、西方の人々の顔つきをしているのに気づく。残念ながら写真撮影は禁止なので、写真集が売っていたので、大部のもあったがそれはやめて、薄いのとポストカードを買う。まだ旅は長い、少しでもバックパックの重量を抑えたい。
11日目 2015年9月2日(水)
前に泊まった唯一のゲストハウスにチェックインする。その時は新築中で完成していなかったが、この6年間でだいぶ傷んできた。ここは幹線道路を走るトラック運転手たちの休憩場所で食堂もあってだいぶ繁盛している。その時の家族の写真を持ってきてあったので渡すとありがとうといわれた。今まで何百人ものインド人に写真をあげたがお礼の言葉を聞いたのは初めてだ。地上のインド人たち(ヒンドゥー教徒やイスラーム教徒)は神が日本人を通して恵んだものとして、神には感謝するが目の前の僕は目にはいらないらしい。チベット人は顔も心情も日本人に似ている。
バックパックを置いてバスでアルチ方面に数キロ戻って幹線道路で下車し、そこから5キロほど歩いてリキール・ゴンパをめざす。樹木の全くない岩肌がむきだしの風景がはるか彼方まで続いている。その先には氷河を頂いた峰々。そうした風景を楽しみながら歩く。
バスゴの宿 1泊300ルピー(570円)。観光客向けじゃなくトラックの運転手たちの宿。出来たての2009年にはキレイだったが、今回訪問の時にはくたびれていた。
リキール・ゴンパ Likir Gompa に近づくと川が流れ樹木の緑が見えてくる。僧院の座った姿の大きな仏像が見えてくる。ここは下ラダック(レーの西部)では最も大きな僧院で数百人の僧侶が住み、小僧たちの学校まであって活気がある。そこで昼食をとり、僧院内部の鮮やかな仏画や小さな博物館を見終わって外に出ると、無料で紅茶をふるまうとの張り紙をみつける。学校の構内へ入ると小僧さんが給仕してくれる。飲み終わると年上の小僧さんが帳面をもってきた。寄付をした来訪者の領収書控えの綴りだ。しょうがないタダじゃないのか100ルピー寄付することにする。
前に来た時は外国人観光客の乗ってきた車に乗せてもらってバスゴ Basgo まで帰ったが、今回は旅行シーズンを過ぎていて観光客も少なかったので、歩く事にした。 |
幹線道路でレー方面行きのバスを待つが来ない。手をあげてもインド人運転手の車は止まってくれない。結局2時間ちかく路上で待って、やっとチベット人がとまってくれた。
バスゴ Basgo は川が流れる谷間に広がっている。その直前のそこに下る崖の上で降ろしてもらい、歩いて写真をとりながら宿に帰ることにする。余力があったので、崖の上の僧院や砦を見て回る。この僧院には僧が二人しか常住していない。境内に施錠してない小さなお堂があり、入ると内部は仏画で埋め尽くされていた。本堂の主尊はチャンバと呼ばれる弥勒菩薩(未来仏)であり、他の僧院でもこれが祀られていることが多くラダックでは一番人気だ。オバメと呼ばれる阿弥陀如来(日本では同一だが、チベット仏教では無量光如来と無量寿菩薩として区別する)は人気がない。
12日目 9月3日(木)
ゲストハウス前でバスを待つが、丁度レーに給油に行くというチベット人の車に乗せてもらうことにする。他にレーに野菜を売りに行くらしい母子と婦人。レーに着いて下車する際、その一人は1000ルピー札をお礼として差し出した。どうなるものかと観察していると、運転手はそんな大金は受け取れないと言っているようでタダになった。うまい事をするもんだ。僕は100ルピーをあげることにした。
写真右はレーの城塞。
そこから乗合バンで旧市街へ行って歩いて宿を探す。以前止まったFort View G.H.に行ってみると、改装し前に泊まった安い部屋がなくなっていて500ルピーになっている。予算外だというと、親切にも近くの安い宿を紹介してくれる、そのBabu
G.H.(300ルピー)はベッドひとつだけで簡素だが、中庭に面した部屋は日当たりもよく快適で気に入った。6日間滞在することになる。トイレは共同だが、お湯は太陽熱(光)を利用した湯沸し器があっていつでも利用できる。住宅街だが食事をする場所も近い。またレーに来る機会があれば、そこに泊まるつもりだ。経営者の家族も親切で家に招待されてお茶をよばれたり、会話をしたりして毎日どこへ出かけたか報告した。
ここレーはラダック地方で最大の町、標高は3500mもあって富士山(3775m)にちかい。従って空気がうすくデリーから飛んできた場合は頭痛と吐き気など高山病の症状がおこる。シュリナガルから時間をかけて来たのでそんな症状はなかったが、少し坂や階段をあがると息切れがする。
アルチの宿以来、WiFiが利用できなかったのでネットカフェへ行ってみるが、通信状況が悪くその日によって使えたり使えなかったりする。
13日目 2015年9月4日(金)
この日から5日間は毎日、8時過ぎに部屋を出て上ラダック(インダス川上流域)の5つの方面を乗合バンやバスで巡ることとなる。初日は40kmちかく離れたチェムレ。2006年に来た時は車をチャーターして訪れたが、今回はローカルバスで幹線道路までいって下車、そこから2、3キロ歩いて僧院へ行ってきた。
僧院は岩山の頂上に砦のように建てられている。チョルテン(仏塔)を抜けながらやっと頂上に達した。若い僧が歓迎し、食堂で暖かいお茶を給仕してくれた。バター茶もある。これはお茶というより、発酵茶にバターと塩を混ぜたスープといったもので、僧たちは読経の合間に飲んでいる。
来訪者は少なかったが、扱いは手馴れたもので寄付の名目で僅かばかりの拝観料(30ルピー)をとる。丁度食事時で僧侶のいない堂内を自由に撮影できた。他では見られない、たくさんの高僧の塑像のある部屋もあった。唸る様な読経の様子も動画で撮影した。
下山し、バスを下りた場所から幹線道路を更に5、6km離れたカールというインダス川沿いの集落まで歩こうと思っていたが、歩いていると外国人を乗せた親切な運転手が停まってそこまで連れて行ってくれた。
14日目 2015年9月5日(土)
前日遠出をしたので近くの幹線道路沿いで簡単に行ける2箇所を訪ねることにする。宿の主人に聞くと、ローカルバスより乗合バンのほうが頻繁に通っていて便利だと言い、その乗り場を教えてくれた。確かにバスターミナルへ行ってもバスが少ない。
また観光シーズンにしか運行していないものもある。ラダックも発展し人々はバス停で待つことより、乗合バンで自由に早く移動するようになったようだ。
ティクセにはレーから南東10キロのチョグランサルまで下って、そこから別なバンに乗り換えていける。ティクセの僧院も岩山の上にあって実に印象的な景観だ。暑いなか、階段を登って頂上の僧院につく。ここは観光客が多くて僧たちも手馴れた扱い。3度目だが、今まで入ったことのなかった最上階の経典をおさめておくお堂まで入れてもらう。大きな金色のチャンパ(弥勒菩薩)が祀られていて、2階からは顔だけが見えている。僧堂は僧が座って読経や儀式を行うようになっている、その僧の席に座ろうとすると咎められた。ここは修行者の座る場所で、俗人の場所ではないと。僧院の外にはお土産屋や食堂までできているようにだいぶ観光地化されてはいるが、修行僧の真摯さが感じられた。
さらにバンを乗り継ぎ近くのシェイへ。ここは岩山にへばりつく様に仏寺と砦が建っている。ここの主尊は大きなシャキャ・トゥバ(釈迦仏)、その前で真剣に祈りをささげている信者がいる。ティクセもそうだが、頂上からはここちよい風を頬にうけながら、インダス川沿いに広がった緑多い眺望が堪能できる。
15日目 2015年9月6日(日) 初日と同じバスで40キロ離れたカールまで、そこで車を一人貸切で5キロ登ったヘミス Hemis を目指す。交渉したが200ルピーだった。帰路はインダス川の谷間へのゆるい下り坂なので歩いて降りてきたが、もう少しでカールという場所で同じ運転手と出会いバス停まで無料で乗せてくれた。 へミス・ゴンパ Hemis gompa は観光客が多く、拝観料も外国人は特別料金で高い。僕は何も言わなかったが、インド人料金(50ルピー、外国人100ルピー)であった。17世紀センゲ・ナムギャル王の寄進によって創建されたここは、500人の僧侶が常住するラダック最大のゴンパである。 |
そのたくさんの堂宇を拝観し広い中庭にでると、2006年にはなかったが、寺の所蔵するタンカ(仏画)や仏具を収めた大きな博物館ができている。土産物売り場も併設されている。さらに奥の院には中国のデルゲのように経典を印刷する僧院があるが、残念ながら足をのばさなかった。カールまでは歩いて緩やかな坂道を下った。途中に1キロぐらいにわたって石で築いたマウンドが続いている。その上にはオンマニペメフンの祈りの言葉が彫られた自然石が無数に置かれている。
16日目 2015年9月7日(月)
相乗りバンを乗り継いで、インダス川近くの高さ 60m の岩山に立っているスタクナ Stakna を目指す。頂上まで車の通れる道路ができているが、僕は崖下から歩いて登る。ヘミスとちがって訪問者は少なく歓待し堂内を案内してくれる。
ここはブータンとのつながりがあるという。ブータンも興味はあるが、自由に旅できないし高い(1日当たり2万円程度)ので行く機会はないだろう。
下山し遠方に見えるマト Matho をめざす。空気が澄んでいるので近く見えるが距離は相当ありそうだ。疲れたら通りかかった車に乗せてもらおうと歩き出す。案の定、マトにチベット仏教の高僧が訪れていて、会いに行くというチベット人が車で送ってくれる。道は曲がりくねり歩いたら、だいぶ時間がかかりそうな場所だった。僧院を見学しようとすると丁度昼食の時間で、お坊さんたちの食事の様子を見ることができた。チベット仏教では精進料理はない。肉食も許されているが、魚は食べない。
岩山の僧院を降りると迎賓館のような建物があって、そこに人々が正装し群がっていた(写真右上)。高僧が来ているのだ。食事も無料でふるまわれていて、僕もそのおすそわけにあずかった。近くでバター茶をよばれたり、僕も歓迎された。帰りはまず幹線道路まで戻らなければならない、そこからはレー行きのバスや相乗りバンが捕まえられる。多国籍の外国人がチャーターしてきたバンがあって、その一員のドイツ人と話していたら、乗せてあげるといわれた。交通の不便なラダックではだれも親切だ。
17日目 9月8日(火)
上ラダック側でレーから一番近い僧院のあるストク Stok を目指し、まずチョグランサル Choglamsar まで乗合バンで行って、川向こうのストク行きのバンを探すが見つからない。丁度、中学生ぐらいの生徒がスクールバスを待っていたので乗せてもらうことにする。
僕も元教師だというと待っていた先生を紹介してくれる。先生からOKがでて、来たバスに乗ると校長先生も乗っている。生徒・教職員みんな同じバスで通学しているのだ。学校に着くと校長室や職員室、図書室に案内され、朝礼を見物することとなる。職員室は狭くたんなる職員の休憩用らしく、学校専属のお坊さんまでいる。お釈迦さまの名前をとった
Siddhartha High School, 英語を教授媒体とするEnglish medium schoolだ。
歩いてストク・カルという旧王宮にたどり着くが、残念ながら展示物の撮影は禁止で監視カメラまである。チョルテンを巡って更に奥にある僧院を訪ねるが、本堂は施錠されていて鍵をもった管長は出かけていて拝観できないという。ぐるっと回ると一人の中年の僧がいたので、せっかく来たのに残念だというと彼の僧坊へ招かれた。彼はゲシュという学者であって長く南インドのカルナータカ州に住んでいて僕が次に来た時は管長になっているだろうという。書架には多数の仏教書が置かれ、その一冊を進呈してくれた。
ナーガールジュナ(龍樹)の著作Nagarjuna’s Letter to King Satvahana、そのチベット語、英語の翻訳書だ。2006年に来た時も若い僧たちと話をしただけで、本堂を見損なった。まあ、学校は見学できたし、エライ僧侶に会えて良しとしよう。小さな僧院だが裕福な寄進者(旦那、サンスクリット語やヒンディー語ではあげるはdanaダーナーといい、僧侶にものをあげられるほど裕福な者に由来)でもいるのか、裏山に大きな座った姿の仏像が新しく作られている。
幹線道路方面にぶらぶら歩いていると、車が通りかかったので乗せてもらう事にする。幹線道路沿いに広がった町チョグランサル、そこで昼食をとりレーへ帰ることにする。
この街も以前見たことのある店を探したら、竈でナンを焼いている店が川沿いにあっただけで変貌が激しい。銀行やATMの看板がめだつ。イランの聖職者ホメイニ、ハメナイの写真売っている店があったので買う事にする。
18日目 9月9日(水)
レー最後の日となる。旧王宮や高台に見えるシャンティー・ストゥーパ(仏塔、シャンティーは平和の意味)まで歩いてみる。旧市街に泊まっているが、仏塔への道沿いの西部のほうが観光客向けの宿やレストラン、トレッキングなどの観光業者の店が多いことに気づく。
仏塔は日本の日蓮宗系の団体が寄進してつくったもので日蓮の名前や「南無妙法蓮華経」が刻まれてあった。すぐ傍の寺院には仏像の前に「天照皇大神宮」の札が祀られ、日本人の僧侶もいるらしく漢文のお経が置かれていた。写真右は旧レー王宮からの眺め。
旧王宮の内部はほとんど見るべきものもなく、ただレーの街を見下ろす素晴らしい眺望を楽しんだ。そばの岩山の頂きには、ルンタ(風馬)というチベット語の経文と馬の絵などが書かれた無数の小さな旗が風にはためいている。
旧市街には4つ、5つ僧院があるが全て施錠されていて拝観できなかった。
レーを離れる相乗りバン(マナーリまで 473km)を前日に予約しておいた。2009年は予約しないで直接タクシー乗り場に行って交渉し700ルピーの相乗りタクシーで離れたが、今回は2000ルピーもするという。ラダックの観光シーズンは7月から9月中頃まで、あとは雪と氷に閉ざされて観光客はほとんど来ない。稼げる時期に稼いでおこうというのだろう。飛行機でデリーへ下る場合はオフ・シーズンでも4000ルピー以上する。デリーからレーはハイ・シーズンには2万円もする。
夜9時過ぎ、暗い中相乗りバンの乗り場ちかくの事務所へ行って、どれに乗るのか案内してもらう。乗客は11人、若いインド人夫婦やアルゼンチンから来たカップルなど。運転手は二人で交代しながら、マナーリまで
473km、途中標高5000m前後の峠を3つ越える道を一晩で下ることになる。氷山に囲まれた山岳部では川は凍りついていた。予想していたので、ダウンジャケットを用意していたが、薄すぎて冷える。なんとか我慢しながら下って行くとしだいに夜が明け今度は日差しが強くなっていき暑い。一晩で冬と夏を体験したようだ。2009年に同じ道を下った時は23:00に出発し翌日の19:00ごろ着いたので20時間ぐらいかかった。今回は21:30に出発しマナーリに翌日15:00に着いたので17時間半、途中休憩が何度かあったので走っていたのは16時間ぐらいか。道がよくなったのか、季節が幸いしたのか。前は8月上旬、雨季で道路の状態が悪くマナーリに近づくにしたがい道がぬかるみで渋滞し時間がかかった。今回は雨季が過ぎたあとで、渋滞もなくスイスイと走れた。
●びー旅編集部から
びー旅んちゅドルジェ金子さんのインド北部カシミール情報の後編。ラダック・レーと周辺情報。ドルジェ金子さん貴重な情報ありがとうございました。
ラマユル僧院の仏像
オンマニペメフン Om Mani Padme Hum 6音節のサンスクリット語のマントラ(仏への祈りを象徴的に表現した言葉)のチベット語表記。
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レー New Khyal G.H. Rs600
レーのバス
レーのバン
レーの丘の頂上
チベット人は日本人のように子供を背負う。Piggyback という言葉自体はあるが「おんぶ」という保育習慣は世界的には少数派。他は中国や韓国など。
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ニューデリー駅西口300m
1泊1室 1,169円~
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