天空のインド探訪1 スリナガル

カシミール地方シュリーナガル 天空のインド探訪1

2016年4月18日公開投稿53-1 天空のインド探訪1

カシミール地方 シュリーナガル 投稿者 ドルジェ金子さん

天空のインド探訪  ~スリナガルからハイデラバードへ~Srinagar 2015

ジャンムー・カシミール州 シュリーナガル  投稿者:ドルジェ金子さん
カルカッタからデリーまで飛んで、3時間そこで待ってエアインディア Air India 便の12:05発シュリーナガル行きに搭乗し、1時間半でシュリーナガルに到着した。簡素な空港だが警戒が厳しく写真撮影は禁じられている。近くに停っていたバスで中心街へむかう。


シュリナガル遠足 インド、ジャンムー・カシミール州 

びー旅編集部から びー旅んちゅ今回の旅人はインドに20数回の渡航歴のあるドルジェ金子さん。カシミール地方の最新情報。ドルジェ金子さん貴重な情報ありがとうございました。

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定年退職バックパッカーのインド格安旅行47日

2016年4月17日(日)公開

2015年の春に退職し、やっと自由の身となった。いままでは、仕事をなんとかやりくりして、同僚を気にしながらの海外旅行だったが、いつでも自由に行けるようになった。勿論、いつも家族の支えがあっての事だが。

今回の期間は8月下旬から10月上旬、これは二兎を追ったためだった。目的地はインド北部、中国とパキスタンに接し国境問題をかかえたジャンムー・カシミール州のラダック地方と西南のアラビア海に面したグジャラート州である。ラダックは主にラダッキーと呼ばれるチベット人が住むチベット文化圏で、平地のインドとは異質だ。

また高度3000m前後で空気と水は澄んでおり、素晴らしい眺望も楽しめる。それに加えてヒッチハイクが簡単にできるほどチベット人は親切、すでに二度訪れているが何度でも行きたいところなのだ。今まで旅に出られたのは夏休みの7、8月だが、その期間はグジャラート州は雨季で旅行しずらく、今まで中心都市アーメダバード以外訪れる機会がなかった。またジャイナ教が盛んな土地でかねてからその聖地に行ってみたいと思っていた。ホントは旅に最適な時期はラダックは7、8月の夏(9月中旬からは寒くなって陸路は閉ざされ不適)、グジャラート州は乾季の11月なのだが、欲張ったため2015年8月23日から10月7日という中途半端な時期になった。期間は47日間、今までで一番長い。



シュリーナガルのムガール庭園

これまでも3~4週間の旅をしてきたが毎日が忙しい。目的地に着いたら部屋を探し、汚れた衣類を洗濯し、部屋に持参した紐を張って干し、食事場所をさがし、ガイドブックを見て見所の情報を確認する。一日二日でまた移動、その移動手段を手配する。それをすべて一人でやる。その日々の体験や出費を小さなノートに記録しておいたのでそれを補足しながら披露してみよう。ただし、名所や史跡の解説はガイドブック(最近はウェブサイトで簡単にみつかる)に詳しくあるので最小限にして、これからインドへ行ってみたいとの思う方のための参考になるように、交通手段(できるだけバスや列車を利用)や費用などといった実践的な内容、体験を中心に述べることにする。



クアラルンプール KLIA2

深夜、羽田からエアアジアでクアラルンプールへ

1日目 2015年8月23日(日) 
1年ちかく前にウェブサイトで予約しておいたAir Asia便で日本を離れることになる。まずはクアラルンプールへ、そこで同じくAir Asia便を乗り換えてインド、カルカッタへ飛ぶことにする。羽田発23:45の予定だったが、遅れた。

羽田・クアラルンプール間は約5400km、時間は7時間ほどだが往復運賃は26679円と安い(通常の航空会社ではこの2~3倍、100km当たりほぼ250円、JRの普通運賃の8分の1)。これがLCC(格安航空会社)なのだ。マレーシアのAir Asiaの機体には NOW EVERYONE CAN FLY. と書かれている。まさにそのとおり、2001年創設のAir Asiaの出現によってクアラルンプールの空港は勿論、他の東南アジア諸国の空港は庶民でごった返している。

飛行機に乗ることは特別なことではなくなった。サンダル履きに短パン姿の者や、45リットルの登山用バックパックを背負ったジーンズ姿の僕のような旅人もいる。

2日目 2015年 8月24日(月曜日)<休憩しインドへ向けて離陸>
まだ暗い早朝6:00過ぎにクアラルンプール第二ターミナル、KLIA2(Kuala Lumpur International Airport 2)に到着、1日も滞在しないのだが90日間有効のビザ・スタンプを押してもらいバスで1時間余りのチャイナタウンを目指す。いつもの宿グローサーズイン Grocer’s Inn にチェックインする。ここでマレー料理や中国料理を楽しんでおく事とする。機内では熟睡できなかったのでしばらく昼寝をして22:35発カルカッタ便(6785円)に間に合うように、夕方チェクアウトし再び空港へむかう。空港からはチャイナタウンのバスターミナル、プドラヤへ直行するバスがある。帰りも同じバスで便利だ。



クアラルンプール チャイナタウン

関連リンク
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ヒマラヤインパクト   インド往復2万6000円   バラナシ   ニューデリー  コルカタ



コルカタ(カルカッタ)新空港


カルカッタからデリー乗り換えシュリナガルへ

3日目 2015年8月25日(火)

前夜は24:00過ぎに新しいカルカッタの空港に到着し、入国、朝6:45発デリー行きAir India便に乗るためそこで一晩仮眠する。空港はACが効いていて快適で清潔、また警備員がいて安全なため(インドでは厳しくチェックして職員と乗客以外は構内に入れない)、空港で過ごすことはよくある。

カルカッタの空港の正式名はNetaji Subhas Chandra Bose International Airport、第二次世界大戦で日本軍の後ろ盾でつくられたインド国民軍の指導者チャンドラ・ボシュの名前をとってある。これから飛ぶデリーの空港もIndira Gandhi International Airport,最後にインドを出国したハイデラバードの空港名もその息子の名前を付けた、Rajiv Gandhi International Airportだ。共に暗殺された悲劇の母子だ。インディラの暗殺者は皮肉にも彼女のシーク教徒の警備員だった。シーク教過激派の立籠る(総本山)ハリ・マンディルの攻撃を命じたため。大きな町の通りにマハートマ・ガンジーの名前をとったMGロードというのもよくある。

デリーまで飛んで、3時間そこで待ってAir India 便の12:05発シュリナガル行きに搭乗し、1時間半でシュリナガルに到着した(カルカッタから総額12229円)。簡素な空港だが警戒が厳しく写真撮影は禁じられている。近くに停っていたバスで中心街へむかう。途中いたるところで物々しく警察官が警戒している姿がある。またジャンムーから鉄道を通す計画があり、高速道路用の高架の建設がすすんでいるのを目にする。

以前、来た時は大きな湖に浮かぶハウスボート(固定した船の宿泊施設)に泊まったが、陸地までの移動が不便だったので今回は陸上のゲストハウスにする。ガイドブック(外務省が危険地帯だというので日本のガイドブックにはシュリナガルの情報は10年以上載っていないので英語版)で泊まろうとするゲストハウスを事前に考えていたが、バスを降りてついて来た若者の案内で別なゲストハウスに決める。そこはダル湖入口のDal Gateやバザールに近く便利な場所だった。宿代は400ルピー(以下1ルピー=1.9円)だが、部屋はゆったりしており清潔でお湯は24時間使えるし、WiFiもある。今回の旅ではアマゾンのタブレットKindleを持参し、WiFiの利用できる宿からは日本とメールできて実に便利だった。以前は日本語の使えるネットカフェを探しださなければならなかった。この日は近くのバザールを散策して終わる。



シュリーナガル Srinagar

シュリナガル旧市街を訪ねる

4日目 2015年8月26日(水)
オートリキシャで旧市街へむかう。ご存知のようにリキシャは日本の人力車が語源になっている。勿論インド人はそんな事は全く知らないが。運賃は外国人を見ると100ルピー(190円)とか言ってくるので交渉して80ルピーになったが、50ルピーが相場だという。2日後再び旧市街を訪れたが、その時は往復ともローカルバス(片道10ルピー)だった。 旧市街の見所は1674年創建という木造のジャマー・マスジット(金曜日のモスクの意味で、同名のものは各地にある)。

370本のヒマラヤスギの列柱が並んだ広々としたモスクである。屋根はドームで覆われた一般的なモスクと違いヒンドゥー寺院を模したという独特の尖った形をとっている。

中庭にはプラタナスが植えられ、強い日差しの中で噴水から涼しげな水しぶきがあがっている。そこでThe Grand Mosque of Kashmir, Jamia Masjidという200ページもない本を買うが600ルピーもする。物価から比較すると100ルピーが日本の1000円の感じだから高い。インドでは現地語の本は廉価だが、外国人(と裕福なインド人)むけの英語の本は高い。写真が入ると数千ルピーもする。

つづいて何度も道を尋ねながらシャー・ハマダーン・マスジッドへ歩いて行く。僕も訪ねた事のあるイランのハマダーンから来た聖者ゆかりのモスクだ。インドにイスラームが広まったのはペルシア出身のスーフィーと呼ばれる聖者たちの活躍がおおきい。そうした聖者を祀る廟、ダルガーがインドやパキスタンのいたるところにあって庶民の願掛けの地となっている。超越的な神へ直接願い事をする事が不可能なムスリムは、聖者を通じて願掛けするのである。日本でも如来(悟りを完成した仏)でなく、観音様(その途中の菩薩)にお願いするように。

もうひとつ砦のある丘の中腹にあった聖者廟を訪ねる。参道には貧しい人々が布を広げて座っている。見ているとその布に参詣者が僅かばかりのコメを恵んでいくのだ。廟の入口にいくとオイデオイデされる。日本人だとわかるとその老人がさかんに日本を褒める、どうなるものかと思っていると、案の定最後に500ルピーの寄付を求められる。無視しているとアッチヘイケと追い返された。



シュリナガル旧市街

州立博物館とムガル庭園へ ジャンムー・カシミール州シュリーナガル

5日目 2015年8月27日(木)

旅の基本は歩くことだ。まず4~5kmはありそうな町外れの川沿いにある州立博物館を目指して歩き始める。途中、確認のために聞いた老人は聞きもしないのに、バスが通っていて安く乗れる事を教えてくれる。おかげで帰路はバスで(10ルピー:19円)帰れた。博物館の入口が閉まっていて休館日かと思ったが、脇からはいれと指示される。そこには有刺鉄線がはってあり、それを避けながらなんとか入った。多分テロを恐れてだ。正門脇には警察官が銃を持って監視している。入館料が貼り出してあったが、これが興味深い。外国人は50ルピー、インド人は10ルピー、更に私立学校の生徒は5ルピー、公立学校の生徒は2ルピーとある。だいぶ経済格差に配慮した設定になっている。また他のインドの博物館と違っている

のは1展示室毎に撮影料を100ルピー(外国人200ルピー)とることだ。ビデオカメラは3000ルピーだとある。入館料を払う際、領収書に名前と住所を書けという。さてどうするものか、とっさにインドの友達の名前とアッサムという州名を書いた。そのおかげで入館料10ルピーとカメラ代100ルピー(考古学関係の展示室)で入れた。

午後はダル湖西岸にある2つのムガル様式の庭園、シャリマール庭園とニシャート庭園へ相乗りバン(バスはomnibusの短縮だが、ペルシア語のcaravanを短縮)で目指す。中央アジア出身の皇帝たちにとってインドの酷暑は耐え難く4、5月はこの水路と噴水で幾何学的に配置された、樹木や草花でおおわれた庭園でくつろいだと言う。丁度遠足の時期らしく、日本の中学生と同じぐらいの年代の子供たちが大勢来ていて騒々しく落ち着かない。中には噴水を浴び水路の中にはいってびしょ濡れになっているものもいる。写真を撮ろうとすると女子生徒は嫌がるどころかポーズをとってくれる。男子はシャツにズボンにネクタイの洋服姿だが、女子はそれぞれ学校によって違ったデザイン、色のパンジャビードレスが制服になっている。




シュリーナガルのムガール庭園



シュリナガルを俯瞰できるシャンカラチャーリヤの丘から

シュリナガルを俯瞰できる丘へ

6日目 8月28日(金)

ダル湖のすぐそばにはシャンカラチャーリヤの丘があってシュリナガル全体を見渡すことが出来る。普通はリキシャで登るのだが、丘の真下の墓地を抜ける近道から登ることにする。ヒンドゥー教徒は墓を作らないことはよく知られているが、ムスリムは柩を横たえたような簡素な墓をつくる。

墓石を避けながら、柵で囲まれた墓地から丘への入口をなんとか探しだし登ると、警察官の監視所があってカメラを預ける。頂上の寺院まで登ってグルッと回って下山することにする。頂上で日本人(大阪出身65歳、タイに在住)とあい、以後数日一緒に過ごすこととなる。

まだ時間があったので、午後は僕の案内でその人と旧市街を再訪することとなる。今度は行きも帰りもローカルバスだった。マスジッドはムスリムの休日、金曜とあってたくさんの人(男だけ)が集まっていて忙しい。



ダル湖に浮かぶハウスボート

中継地カルギル Kargil へ移動

7日目 2015年8月29日(土)

前日に宿にたのんで、カルギル Kargil に戻るという車にのせてもらうこととなる。タクシー乗り場で聞いた正規の料金はシュリナガルからカルギルは1000ルピーだが、750ルピーになる。客は僕と大阪の人だけ。シュリナガルを朝8:00に出発し途中リンゴを買うためと昼食で2度停まったが、16:30にカルギルに到着した。シュリナガルとレーの距離400kmのほぼ中間に位置するラダック第二の町がカルギルである。

現在レーへはデリーから航空機で飛ぶかマナーリを経由して2、3泊しながら陸路向かうのが一般的だが、かつてはシュリナガルからのバスでここに来て一泊して向かったものだ。

1999年パキスタン軍の攻撃があって、インドではカルギル戦争と呼ばれ映画までできてナショナリズムを鼓舞した土地でもある。カルギルと聞くと物騒なイメージがあったが来てみるとのんびりしていた。インダス川と並行する幹線道路沿いに短い商店街が密集しているだけの町だが、学校もあるらしく制服姿の子供たちが歩いている。その顔はシュリナガルもそうだが地上のインド人と違って肌は白く、瞳も青みがかっている。東西の中継地点にいる事を感じる。ここまでがイスラーム文化圏、そこから徐々にチベット文化圏に移っていく。

翌朝5時代のバスで移動するつもりだったので、バスターミナルそばに宿をとったが、これがトラブルだった。散策から戻って暗くなっても明かりがつかず、水の出も悪い。とうとう我慢しきれず10時頃宿を移ることにする。従業員に渡したお金を返せと交渉するとマネージャー(チベット人)の承諾をとってからだと言って電話している。そして素直に返金してくれた。こんな事は地上のインド人では考えられないので驚いた。しかし移った真新しいInternational Guest Houseも部屋はきれいだが、電気がすぐにストップ。大阪の人が念のために買っておいたロウソクが役立った。早々と就寝することにした。



カルギル Kargil への道

ラマユル Lamayuru へ移動

8日目 8月30日(日)
暗い中、荷造りをして5:30発のバスで次の目的地ラマユル Lamayuru へむかう。シュリナガルからカルギルまでは少しは樹木が見られたが、カルギルからレーまでは「月の世界」と形容されるように岩肌がむき出しだ。途中一度茶店で休憩して9:30にラマユルに到着した。ここは川があって緑があり、畑が作られている。幹線道路の側に険しい丘があってその上に僧院が建てられ圧巻である。その中の一番大きな建物は実は僧院の経営するホテルだという(たった600ルピー)。

バス停で客待ちしていたチベット人の婦人の案内ですぐそばのゲストハウスへ。家族経営で花が飾られ気のきいた宿であったが、ここも電気が問題だった。夜7時半から11時までしか通電しないという。共同トイレも清潔でお湯も使えた。ラダックの冬にとってお湯は欠かせない。

夕食、朝食もこの家の食堂で取ることとなる。この婦人は40歳前後か、チベット文字で名前を書いてもらおうとすると書けないという。耳で覚えた英語を駆使して客を捕まえる実践英語の使い手だった。


旦那さんの経営する食堂でチベットの麺料理、トゥクパで昼食をとり、すぐ前の僧院を見学する。遠くに氷河をいただく峰々が連なり荒涼としたなかにチベット僧院(ゴンパ)があり、その周囲にはチョルテンという仏塔(ストゥーパ)が並んでいる。石で土塁状のものも作られており、その上には平らな自然石が無数に置かれている。その表面をよく見るとチベット文字でオームマニパドメーフーム(南無阿弥陀仏がナンマイダとなるように、短くはオンマニペメフン)と刻まれている。

後で行ったへミス僧院から下る道にはこれが1kmも続いていた。人々の幸せへの祈りのカタマリなのだ。伏見稲荷の赤鳥居のトンネルのように。 写真右はカルギルの子供。

僧院の建物は16世紀のものだというが、創建は11世紀までさかのぼる。暗いお堂のなかには金色のツォンカパなど高僧の像が置かれ、真ん中にはチベット仏教の主尊が祀られている。壁には仏画が描かれ、大きなチベット語の経典が布で包まれ差し込んである。トルコのカッパドキアのような岩をくぐって周囲の民家も見学する。その中に村人が管理する小さなお堂があって、開錠してもらい拝観する。暗い奥では憤怒尊がこの世の悪を睨みつけている。



カルギル Kargil への道

アルチ alchi へむかう

9日目 2015年8月31日(月)
ラマユル Lamayuru から西へ約50 kmのアルチ alchi を目指す。カルギルとレー間はバスが1日数台往復しているので、それに乗って途中下車しようと考えていたが、バス停で待っていると有料(100ルピー)で乗せてくれる車が見つかった。

9:10 に出発しアルチ方面に曲がる幹線道路に10:30に着いた。ほぼ時速50キロと早い。インダス川沿いを走るこの道路がいかに整備されているかがわかる。国境警備のためインド軍の車列が常にカルギルとレーの間をいったりきたりしており、あちらこちらに軍隊の駐屯地がある。

そこから細い道を通ってアルチまではまだ4、5キロあり歩こうと思っていたが、丁度レーから来たバスが通りかかったので乗車することにする。以前来た時はレーからチャーターしてきた外国人の車に無料でのせてもらった。

アルチには二泊してじっくり僧院と周辺をみるつもりだ。以前泊まった夏の間しか営業していないゲストハウス(400ルピー)にチェックインする。すぐ前にリンゴの木が植えられた野外レストランがあって食事には便利だ。シャワーは暑いお湯をバケツに一杯もらって、それを水で温めながら浴びる。 次の頁 ラダック・レーに続く



アルチ alchi の民家


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羽田発クアラルンプール行き
エアアジアXクルー


クアラルンプール発コルカタ行エアアジアX。A330-300 機内


クアラルンプールの宿 1931(中華民国20)年創立の元雑貨商店 現在は文化遺産となっている安宿


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ジャンムー・カシミール州の州都は季節で変わる。夏季シュリーナガル、冬季ジャンムー。



シュリーナガル 1674年創建という木造のジャマー・マスジット ヒマラヤスギの列柱の並ぶ内部



デリーのパハールガンジ


デリーの地下鉄


進学ローンポスター


シュリーナガルのジャンムー・カシミール州立博物館の入場料金表。


シュリーナガル庭園



アルチの木造寺院


「カシミールプラオ」ドライフルーツ入りのバスマティライスの炊き込みごはん。バスマティはイネ長粒種香り米。インドとパキスタンで昔から栽培されてきた品種。



スリナガルの焼き立てナン


カルギルの街並み


チベット料理 
トゥクパとは違う平たい麺



カシミールの巨大ナン



国境警備のためのインド軍兵士。カシミール地方はインド、中国、パキスタンの3カ国が領有権を主張する紛争地域。2016年現在小康状態にあるが、小規模な紛争はまだ散発しており、完全解決には至っていない。

カシミール地方では2015年7月27日、インド北部のパキスタン国境に近いパンジャブ州グルダスプールで、3人の武装グループが警察署などを襲撃、警官と市民計8人が殺害されるテロが起きた。

8月15日には、インド・パキスタン双方から銃撃や砲撃があり、インドの報道では市民4人が死亡、約20人が負傷。インドはこのテロにパキスタン軍の関与を指摘、パキスタン側はこれを否定。



ラマユル Lamayuru



カルギルの通り


ラマユル

びー旅編集部より

●びー旅つぶやき
0:02 2016/04/15
今インド投稿情報のページ製作中。ドルジェ金子さん投稿。ラダック・レーなどのカシミール地方の最新情報。あの辺て危なくないのかな。画像見る限りかなりの山奥。毎回投稿情報もらうたびに「たった一人でよくこんな旅するなあ」と思う。

でもよく考えてみるとびー旅はそういう旅人向けのサイトだったと今さらながら気づく。いただいたのが私がまだカンボジアにいたころで、サーバートラブルでサイトがネット上から消えていた時期。加えて先日の炎天放浪後半は自分のページでいっぱいいっぱいでとても投稿情報ページを作る余裕なかった。ラダック・レー情報はびー旅にない地域なのでとてもありがたい情報。ドルジェ金子さん、貴重な情報ありがとうございます。



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