びー旅ドットコム カンボジアブログ2007-3 |
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途上国の子供の笑顔 このパンが結構うまい。 小200R、大500R |
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2007年2月8日のアンコールワット
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観光客を相手にするバイタクと地元民を相手にするバイタクがなんとなくではあるが分かれていて、地元民相手のバイタクが何で観光客乗せてんだよって空気のようだ。確かにトゥクトゥクスタイルでの遺跡めぐりがほとんどで、3年前と同じようにバイタクに2人乗りで遺跡を回っている観光客は少ない。特にこの宿のお抱えのバイタクやトゥクトゥク使わないと言うことで宿も若干不満のようだ。カイロのダハブホテルほどあからさまでないのでとりあえず宿泊しているが。ちなみに宿のバイタクは英語はぺらぺらだが1日7~8$。おそらくそれ以外なんのかんの理由つけて追加料金が必要になる。 この広場周辺は朝の人が少ない時間に散策するにはいい。裏にある遺跡の工事はいつ終わるんだろう。 2007年2月9日のアンコール遺跡群 今日は大回りコース。プレアカンやネアックポアンを回る。夜明け前の朝焼けアンコールワットしっかり画像に収める。朝飯は途中で地元定食屋でバーイチュルーク弁当2000R作ってもらい持参し、朝のアンコールワットのお堀の外で食べる。また10,000R払うの馬鹿らしいからね。 プレアカンの奥の左側にある神殿もどきがいい。朝でまだ人もいなくて唯一以前の遺跡の雰囲気だった。ネアックポアンにいる頃はツアーの中国人だらけでちょっとひく。大回り一通り回ってちょうど昼12時30分頃となるのでまたシェムに帰って昼休み。2時まで宿に戻ってシャワー浴びてお昼寝する。朝早いせいもあるのか、強烈な日差しのせいもあるのか、遺跡めぐりはとにかく疲れる。1時間くらいは寝たと思うが起きると既に2時10分前。お昼寝したおかげで飯食えんかった。とはいえ1日チャーターの個人ツアーなので時間配分は自由。腹減ってたので起きてバイタクのとこへ行き、贅沢にもタケオゲストハウスで日本の定食食うことにする。 シェムで初めて日本人エリアに入る。この宿からは結構遠く歩くと30分くらいかかるか。バイタクなので3分だったけど。カツカレーはなく、仕方なく鳥のから揚げ2$食う。まあまあの味。いるのはほとんど日本人。会話が「あいのり」の車内?みたいでしぶかった。ドミがあり2$。個室は5$からだそうだ。カンボジアでドミなんてさすが日本人パッカーのハートつかんどるなと感心する。そんなことよりカツカレーがほしかったな。 ネアックポアンの水が干からびていた。ほこらの中に以前なかった安っぽいダミーが制作されていた。 バンテアイクデイ 遺跡内は飲食禁止(池の脇の売店では可)なのでこのお堀の外で遺跡を眺めながら弁当食った。 タケオで飯を食い再び遺跡内へ。3日間有効のチケットは1日何回入場してもかまわない。今日はバヨーンで午後のひと時を過ごすことにする。ツアーだと1回だけ30分くらいで通り過ぎる場所だが、2度目で2時間近く遺跡内でまったりしていた。アンコールワット遺跡群の中は非常に居心地が良く、何時間でも時間がつぶせる。以前は午後とかは結構がらがらだったりしていたのに午後3時、4時になってもひっきりなしに観光客がやってくる。やっぱ韓国、中国人の団体さんが多い。帰りプノンバケンで夕日って手もあったんだがくたくたで行く気なし。何回も行ったが蚊に食われた記憶しかなくテンションいまいちの印象あったせいもある。 2日で主なとこ一通り回り終える。明日3日目はお気に入りの場所ピックアップしてそこでぼけっと1日過ごそうかなと考えていた。バンテアスレイもバイタクに18$も払っていく気はしないし。ところがバイタクが値段をどんどん下げてくる。10$まで下がったが、確か前々回は7~8$で行ったはず。前回は前述のようにレンタルバイクで自分で行った。なので「8$なら明日行ってもいい」と言うとあっさりOK。しかも1日チャーターなので午前バンテアスレイ、午後プレアカンとバヨーンとお好みツアーで自由にあちこち行ける。個人で手配した場合のおいしいとこだ。 ツアーに行ってヘロヘロなのに、日記書いて画像加工してウェブアップしての工程がめんどいぞ。腹が減った。飯食いてえのに。これから画像の取り込みだぃ。今日も300枚以上はとったんじゃないか。でも半分は200メガにおとして撮影。あれ?おれ財布なくしたんだったよね?なぜか旅の行程に影響まるでなし。なくしたことさえ忘れていた。日本大使館の貸してくれた200$のおかげじゃ。 人に優しくない造りの急な階段。 バヨーンの最上階に上がるとこういうのがいっぱいある。 こういう森の中に遺跡は点在している。昔の人はみんな歩いていった。 年代的には意外に浅く900年以降のものが多い。建物に関する記録が残っておらず詳細は不明だそうだ。 |
2月10日のバンテアィスレイ シェムから32km。地元系バイタクを使えば往復8$ 1日チャーターなので午後は別の遺跡に行ける。 他の遺跡群にはない独特の雰囲気がある。彫刻の保存状態も良い。
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今日2007年2月11日のシェムリアップ 昨日2007年2月10日のアンコールワット
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カンボジアでの生活の収支10$以下ですむと言われても具体的にピンとこないかもしれないので昨日の収支報告記しておく。遺跡観光に行かない場合、物価の高いシェムリアップでの実際の生活にかかる金額。
シェムリアップの街中にもこういう地元定食屋さんがある。地元定食1500R。2007年2月12日撮影 今日のシェムは雲は若干あるものの晴れ。昨日夜停電が2回ほどあり扇風機止まって蒸し暑くて寝れんかった。朝はその扇風機の風が寒くて目が覚めた。今の気温は夏休みの午前中といった感じ。今年の春節は17日からだそうだ。すれすれ脱出。リオのカーニバルも17日から?今度の土日がサンボドロモ決戦。今年も逃してしまった。残念だ。 フードコートと思いのほかうまかったココナッツミルクアイス3000R(90円)今日の昼飯代の2倍。
市内にはショッピングモールみたいのがたくさんあちこちに出来ていてフードコードもどきがパンチ効いてた。そこで食ったココナッツアイス3000R(90円)が思いの他うまかった。 Booking.com
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シソポンの山が見えているのに直前のボリレストランで例のごとく昼食休憩。今朝シェムを出たのは実質8時45分だったのでシソポンまで3時間と言ったところか。7時30分から8時までの間にダラの前にピックアップと言うことなので7時半から宿前で待つよく考えてみると今日何らかのミス、あるいは事故等があってバンコクにたどり着けないことになるととても面倒になることに気づく。帰国日は14日でも出発時刻は深夜0時。だから13日つまり今日の夜の10時頃までは空港にたどり着いてなければならないのだ。もし乗り過ごしたら所持金ほとんどない状態でバンコクにおいてけぼり。日本への航空券も買いなおし。今度はバンコクの日本大使館にお世話にならねばならんくなる。本来ならこういう場合、余裕を見て1日くらい前にバンコク泊に入るものなのだが、その辺あまり深く考えずにぎりぎりまでシェム滞在と言う選択をしてしまっていた。今日はなんとしてもバンコクにたどり着かねば。
夕方からチケットなしで入場して見る夕暮れのアンコールワットはこんな感じ。バイタク代2.5$(300円)ですむ。 6時半頃までいられたか。だが日も沈みかけた夕日と反対側のアンコールワットはやはり昼間のテンションはなし。いられる時間も1時間弱だし、やはり1日だけでも入場料払って昼間入場したほうがいい気はした。 PM3:58 今バンコク行きのバスの中。国境を越えると道ががらりと変わる。やはりどんなにカンボジアが最近変わったと言ってもこうして国境を越えてタイと比べると発展の余地は無尽蔵にあるなと実感する。シソポンからポイペトまではなんと1時間ほどで着いてしまう。道は悪いのだがスピードが出せる程度の道の悪さなので以前とは比較にならない速さ。3時間以上はかかっていた記憶があるのだが。
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国境からカオサンには4時間ほどで到着。アランヤからのバスはスヴァンナブーム空港の脇を通ってくる。ただ当然空港には寄らずかなり離れた高速を素通り。まだ7時代だったので空港に行くには早すぎる時間。とりあえずカツカレー食いにカオサンまで行くことにする。
ピックアップトラックのアウトサイドはこの煙幕の中を荷台にしがみつく。道はずいぶんよくなったなだけど。 今回はカオサンからタクシーで高速使って空港まで行く。カオサンは空港から市内をはさんで反対側にあるのでタクシー代は結構かかる。途中高速乗るまで若干渋滞しメーターで行って225B、所要40分。このほかに高速代合計65Bがかかるので実質合計290B。高速使わずにチャイナタウンから来た時は260B台だったのであまり変わらず。ただ空港で数人の人から聞いた話ではナナあたりからだとメーターで200Bかからない程度だと言っていた。バンコクセンターホテルのフロントで紹介されるタクシーだと800Bだそうだ。カオサンからは140Bで送迎が出ているが午後8時頃に頼んだが満車ということで乗ることは出来なかった。とにかくこの新空港金がかかる。空港で飲み食いもタイの物価ではないので食事は済ませていいくか、持ち込んだほうがいいと感じた。 朝シェムリアップからの移動でそのままカオサンで飯食っただけで空港、そして成田へ向かったのでフライト中はほとんど寝ていた。家に着いた時、プノンペンの日本大使館で借りた200$の残金は2000円ちょっとだった。既に払ったバンコクの出国税700Bが旅行会社の手違いで支払われておらず、もう一度支払わされる羽目になったりでヒヤッとしたが何とか計算どおり生還する。旅の生中継はこれでいったんおしまいです。 |
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