カレン族とはミャンマー南東部のカレン州を中心に暮らす民族でカレン語を話す。その多くがミャンマー東部からタイ西部に住む。ミャンマーでは人口350万人でミャンマー少数民族中では最大。タイでは40万人。スゴー、ポー、ブエなどの亜族に分かれる。一般的な英語表記は「Karen」だがミャンマーでは「Kayin」と表記される。写真上はカレン州ミャワディとコーカレイの間に広がる山岳地帯。
2014年3月31日(月)
ミャンマー連邦共和国は多民族国家で多数の民族で構成されている。ビルマ族が人口の7割を占めるが、他に130以上の少数民族が存在する。人口の多い主な少数民族はカレン族、カチン族、カヤー族、ラカイン族、チン族、モン族、ヤカイン族、シャン族など。
またミャンマーは1948年の独立直後から少数民族と政府軍による長い闘争の歴史を持つ。一部の少数民族組織は独立や完全自治を求めて約60年もの間政府軍と戦ってきた。
1940年代より前のイギリス統治下のミャンマーでは、イギリスが支配をしやすいように民族による分割統治政策が行なわれた。インド人が行政・金融を、華僑が商売を、カレン族などの山岳民族が軍と警察を司り、多数派のビルマ人は最下層の農奴にされた。この統治時代の身分制がビルマ人の山岳民族への憎悪の背景にある。さらに国土の大半が山間部で政府軍が反政府軍を完全に掃討できず決着がつかないのも軋轢を長期化させた原因になっている。
1948年にミャンマーが独立してイギリスが撤退すると少数民族は後ろ盾を失う。そして虐げられてきた多数派のビルマ族がそれでもなお分離独立運動を続ける少数民族を徹底的に武力制圧するという形に発展する。 その中のひとつカレン族は1947年にカレン民族同盟(KNU:Karen National Union)を結成、タイ国境に近いカレン州のマナプロー Manerplaw を拠点に武装闘争を繰り広げてきた。なお先鋭軍事組織のカレン民族解放軍(KNLA:Karen National Liberation Army)の支配地域だったコートレイ Kawthoolei はヤンゴン~ミャワディルートのコーカレイ kawkareik とは別で、そこから北250kmのタイ国境近くにある。 |
その後1975年、カレン民族同盟が中心となり13の少数民族が集まり民族民主戦線(NDF)を結成した。NDFは88年9月のクーデター後、少数民族支配地域でビルマ民主同盟(DAB)を設立。1990年にはマナプローで、ビルマ連邦国民暫定政府が結成された。1995年政府軍の総攻撃でマナプローが陥落、大量のカレン族難民が発生した。カレン民族同盟は弱体化したが、一部の過激な武力闘争を主張する分派がその活動を継続していた。
1989年以降、武力保持や徴税権などと引き換えに軍事政権との和平協議が進み、カレン民族同盟を除くすべての武装組織が停戦に合意した。そして2012年1月に最後に残ったカレン民族同盟とミャンマー国軍との戦闘が終結し停戦合意に至る。2013年8月28日、ミャワディ国境の外国人への開放の背景には、ミャンマーの民主化加速とは別にこういう事情がある。
カレン族とはミャンマー南東部のカレン州を中心に暮らす民族でカレン語を話す。その多くがミャンマー東部からタイ西部に住む。ミャンマーでは人口350万人でミャンマー少数民族中では最大。タイでは40万人。スゴー、ポー、ブエなどの亜族に分かれる。一般的な英語表記は「Karen」だがミャンマーでは「Kayin」と表記される。 ミャンマー軍の度重なる攻撃で1984年ころからミャンマーのカレン族難民がタイに流入。1995年にはミャンマー政府軍の総攻撃でマナプローが陥落。大量のカレン族難民が発生した。現在もタイ国内にはミャンマーとの国境近くに9つの難民キャンプがある。 |
ミャンマー国境のタイ側を走るローカルバスには今も不法越境者の取締りのためのタイ軍による外国人パスポートチェックが頻繁にある。カレン族はもともとミャンマーだけでなくタイ北部山岳地帯にも住む。また日本人観光客にはタイの少数民族の首長族として知られるが、ほとんど(多分99%以上)のカレン族は首長族ではない。
2013年1月24日、私はタイ南部ハジャイにいた。クイッティヤウ屋台に行くとき、バガンで買った背中と胸にでかでかとミャンマー文字の書いてあるTシャツ(写真左)を着ていった。するとクイッティヤウ屋台の皿運びの手伝いをしているおじさんがニコニコで話しかけてくる。昨日もその同じ屋台でラーメン食べて軽く世間話をしたのでおじさんは私が日本人だということは知っている。
私のミャンマー語Tシャツを見ておじさん。 「ミャンマーに行ったのか?」 「ミャンマー語はしゃべれるのか?」 おじさんはミャンマーからハジャイに出稼ぎに来ているカレン族だったのだ。 |
私がおぼえたての片言のミャンマー語で返すとおじさん満面の笑み。英語すらろくに話さない日本人が自分たちの言葉を話すのがうれしいらしい。しかしカレン族はカレン語じゃないのか?いや、確かにそうなのだが、彼らは実際にはミャンマー語とタイ語とカレン語を話すのだ。
多分もっとも彼らにとって実用的で母国語に近い故郷の言葉がミャンマー語なのだろう。おじさんはタイ語ぺらぺらで民族衣装を着ているわけでもないので黙っていれば日本人の私にはタイ人との区別はつかない。ちなみにおじさんと私の会話はタイ語。ハジャイのローカル屋台で英語は通じない。
このおじさんのように正規ルートでタイに入国してタイで働く出稼ぎカレン族はタイ国内にたくさんいる。
2014年現在「ミャンマーのカレン族はいまだ政府軍と戦っている」とか「タイにいるミャンマーのカレン族はすべて難民」という構図ではなくなっている。
2014年2月にミャワディ国境を越境した時にミャンマーに帰国するミャンマー人(ほとんどがカレン族)がたくさんいたが彼らは出稼ぎの帰りというより、タイに旅行や買出しに行って戻るといった感じだった。
ネットやメディアでは難民キャンプで生活する部分だけが強調されるが、実際には違う様相も現地には生まれつつある。現地の事情は日単位で激変している。
カレン州の紛争に関わる3つの当事者(ミャンマー軍、民主カレン仏教徒軍、カレン民族解放軍)は対人地雷を広範囲に使用。彼らは互いに自らの基地付近のみならず、森林地帯や、民間人の家や畑の周囲での地雷埋設を続けた。
ミャンマーは対人地雷禁止条約を批准しておらず、対人地雷禁止に関する国際会議にもほとんど参加してこなかった。またカンボジアと違ってミャンマー東部で地雷除去は行われておらず、地雷認知教育の機会も限られているのでその被害は現在も続いている。観光客の山岳トレッキングにはむかない環境。
10:50 2014/03/29
カオサンのタンフアセンにあるイオンATMで2014年2月14日(金)1万バーツおろした分の元金に現地ATM手数料150Bが加算されていた。
一方2014年2月10日(月)のクラビ郊外テスコロータスのイオンATM(写真右)利用では現地ATM手数料150Bは取られていなかった。
どうやらここ2年ほどの間唯一現地ATM手数料のとられなかったイオンATMも順次150B手数料加算へと動いているようだ。これでタイに限定する限りどこで利用しても現地ATM利用は、レートのいい両替屋での現金両替よりも効率が悪い状態になる。
ただミャンマーのミャワディで利用した2月18日カンボーザ銀行ATMの10万チャットには手数料5000チャットは手数料承諾画面で承諾しても請求段階ではねられて実際にはとられていなかった。セディナマスターカード利用クレカキャッシングの私の場合。
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言われてみれば確かにヤンゴンにいる人たちと若干フレイバーが違う。写真では似てないが実物はアンガールズの山根氏に似てた。
タナカーンが樽美酒みたい
カレン州コーカレイ郊外の山の村
ミャンマー語のTシャツ
コートーンの乗り合いバス
ミャワディのシングル1泊7000ks(700円)のホテル