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南インド・イスラム遺跡探訪

びー旅ドットコムcontribution 2017-59

インド格安個人旅行 投稿:ハッサン金子さん



イブラヒムローザ

ハイデラバードHyderabad、ビーダル Bidar、グルバルガ Gulbarga、ビジャープル Bijapura 訪問の記録。旅の期間は2017年7月26日から9月7日。


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南インド・イスラム遺跡探訪Hyderabad Bidar Gulbarga Bijapura

ハイデラバード、ビーダル、グルバルガ、ビジャープル


公開日2017年11月8日(水)
旅2日目 2017年7月27日(木)  

前夜24:00に飛び立って、早朝6:00過ぎに(日本との時差1時間遅れ)AirAsia専用のクアラルンプール国際空港第2ターミナル(KLIA2、Kuala Lumpur International Airport2)に到着、紙のアライバルカードも記入せず90日間有効のビザをパスポートに押してもらい、いつもの中華街へ。そこの常宿Grocer’s Innで夕方17:00まで休憩し、空港に戻って21:35発ハイデラバード行に搭乗する。他に日本人はいないようだった。



ハイデラバードのラジーブ・ガンジー国際空港


ハイデラバードでケイタイ電話を確保 3日目

2017年7月28日(金曜日)

深夜24:00過ぎにハイデラバードのラジーブ・ガンジー国際空港に到着、入国スタンプの日付は28日となっていた。空港内で夜が明けるまで仮眠するつもりだったが、いつの間にか外に出てしまった。いろいろ聞いたが、静かで安心して仮眠できる場所が見つからず、空港建物外のフードコートの椅子に座ってテーブルにバックパックを置いて顔を伏せて過ごすこととなる。

長い時間をやり過ごして、市街へのシャトルバスが5:00過ぎに出るというのでやっと4:30に起き上がって、まずはATMでお金を引き出すことにする。成田空港では日本円をドルに両替して米ドル現金も持参したが、今回は初めてすべての費用をクレジットカードを使ってATMで引き出して使った。ウェブにインドのATMの使い方があって、見てきたが、万が一の事があってはと、近くにいたインド人の若者に手伝ってもらう事にした。以後5回、ATMで引き出したが、おかげで自分でもできるようになった。利子と手数料がすこし気になるが、便利である。

明るくなってきた6:00ちかく、市街の調べてきた場所でシャトルバスを下車し、通りかかったオートリキシャー(以後オート)で中央郵便局近くの以前泊まった事のある宿にたどり着いた。

この日は、羽田空港で壊してしまった眼鏡フレームを交換したり、SIMカードを買ってケイタイ電話が使えるようにしたりする事で一日が終わった。まず暫く使っていなかったケイタイの修理が必要だった。ケイタイ電話は2013年に初めてインド製のVodafonの子機(800ルピー、1ルピー=1.7円)とSIMカードを買って国際電話をしていたが、数か月使わないと電話番号が無効になってしまう。

そこでインドに来るたびに新しいSIMカードを買って番号を変え使えるようにする。これが難儀だ。

インド政府はテロを恐れてか、本人確認verificationに種々な書類が必要なのだ。Vodafonではパスポートのコピーと写真は勿論、今回は宿泊先のオーナーの証明が必要だと言われた、しかしオーナーは不在。Airtelではインドの友人がいるかと聞かれ、SIM購入申込書に友人の名前、住所、電話番号を記入すると入手する事ができた(5ルピーだが無料になった)。Activateの手順をメモしてくれて、ホテルの従業員に手伝ってもらってその日の夕方、電話が使えるようになった。宿にWiFiがあれば、タブレットを持参したのでメールで妻と連絡できたが、無い宿ではこのケイタイ電話が役立った(通話料5分で70ルピー程度)。


ゴールコンダ城

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一日イスラームの史跡、博物館を見学 4日目

2017年7月29日(土曜日)

 今回の旅はカルナータカ州とタミル・ナードゥ州のヒンドー教寺院や建造物を巡るのが目的だったが、その前にイスラームの4つ町、ハイデラバード、ビーダル、グルバルガ、ビジャープルを巡って、墓廟や城塞などの建造物を見学してきた。日本語のガイドブックにはハイデラバード、ビジャープル以外は取りあげられてないように馴染みのない都市だが、北にイスラーム政権ができた中世に、南インドにもイスラーム5王朝と言われる政権が成立し、いずれもそれらの首都となった重要な街なのだ。

 ガイドブックはお馴染みの『地球の歩き方 南インド2014~2015年版』、他に『世界歴史の旅 南インド』(山川出版社)、『インド建築案内』(神谷武夫、TOTO出版)のめざす2州部分のコピーを持参した。一般に南インドと呼ばれるのは主にドラヴィダ語族の言葉を話すケーララ州、アーンドラ・プラデーシュ州、カルナータカ州、タミル・ナードゥ州の4州の地域をさすはずだが、ガイドブックにはおかしな事にアーンドラ・プラデーシュ州はなく、代わってゴア州が含まれている。現在はアーンドラ・プラデーシュ州が2つに分裂した(2014年新たにテランガーナ州)ので南インドは5州である。

 この日は、ゴールコンダ城(16~17世紀、デカン高原東部を支配したシーア派イスラーム王朝の城跡)、その様々な様式の王たちの墓があるクトゥブ・シャーヒー墓苑そしてチョウマハラ宮殿(1724~1947、ハイデラバード藩王ニザーム)を市内バスやオートで訪ねて回った。いずれも何も言われず、インド人料金で見学できた。

チョウマハラ宮殿


インドの史跡・博物館の差別的料金


インド考古学局Archeological Survey of India(中央政府)が管理する史跡・博物館等の入場料は、それまでもインド人と外国人は別料金だったが、2016年4月1日からインド人は3倍、外国人は2倍と大幅に引き上げられた。一般の史跡はインド人は15ルピー、外国人は200ルピー、世界遺産に登録されている史跡はインド人は30ルピー、外国人は500ルピーとなった。ただし外国人でもSAARC(南アジア地域協力連合)の8か国とBIMSTECのタイ、ミャンマー国籍はインド人と同等となっている。

かつての中国や現在もタイ、インドネシア、マレーシア等でも同様な料金設定があるが、インド程の差はない(例えばマレーシア国立博物館は現地人は2MR、外国人は5MR)。但し、地方政府つまり州の管轄する史跡・博物館は州によって異なっている。後で紹介するマイソールの宮殿は以前はインド人(20ルピー)と外国人(200ルピー)の差別があったが、現在は同額の50ルピーである。

チェンナイのタミル・ナードゥ州立博物館はインド人は25ルピー、外国人は250ルピーであり、更にカメラ持ち込み料が200ルピーもする。デリーの国立博物館はインド人は20ルピー、外国人は650ルピーで写真撮影は無料(自由)である。



チョウマハラ宮殿


聖者廟

イスラームの古都ビーダルへ 5日目


2017年7月30日(日曜日)

 ハイデラバードから北西に約110キロに位置するビーダルはデカン地方最初のイスラーム政権、バフマニー王国(1425年遷都)とその後継国家ビーダル王国の都(1529年から)であった場所であり、ここからがカルナータカ州となる。写真右はグルドワラ、シーク寺院。

早朝6:24のバスでハイデラバードを出発し3時間半、9:50に到着した。渋滞でハイデラバードをぬけるのに思いのほか時間がかかった。インドの都市の多くにあてはまるが、旧市街は古い中世のような街並みを残し発展のしようがない、それに対して郊外には新しい住宅地ができて、その住民のためのショッピング・モールや病院等が併設されている。ハイデラバード郊外も同じで、そこから中心部への高架鉄道も建設中である。

 ビーダルのバスターミナル(インドの町外れには必ずあって、各方面へバスが発着)に着いて、以前泊まったホテルやいくつかのけっこういいホテル(1000ルピー前後)を見て回ったが、満室だと言われる。インドも経済が発展しビジネス等で移動が増えていい宿から埋まってしまうようだ。試しにバスターミナル構内にあった安宿をあたってみると部屋があると言う、しかも400ルピーと安くて小ぎれいな部屋だった。受付のそばに二段ベッドのドミトリーもあったが、そちらはたったの100ルピー(170円)だという。

 荷物を置いて、早速見学にでかけようとすると、シーク教徒と会って是非食事に来いと誘われた。宿から歩いて行ける所に立派なシーク教寺院、グルドワラがあって誰でも無料で食事ができる。これはシーク教のカーストを越えた平等思想の一貫でランガル(会食)という。近くの町にランガルというインドレストランがあると聞くが、店主はシーク教徒かもしれない。簡単な菜食ではあるが、ご馳走になってきた。


ビーダルのホテル予約検索 個室1泊1室 2,631円~

 その後数キロ離れた堅固な城壁で囲まれた城跡へオートで行って、モスクや宮廷の建物を見て回る。2010年に来た時はほとんど観光客がいなかったが、今回はインド人観光客で溢れている。インド人も自国の文化遺産に目を向ける余裕が出てきたようだ。但し、至る所に落書きがある。その対策として、以前はいなかった警備員がどの史跡にも常駐している。城壁の南にはペルシアの宰相が1472年に建てさせたと言う壮大なマドラッサ(ムスリム学校)、マフムード・ガーワーンが残っているが、傷みが激しい。更に西にはバフマニー王家の墓が残っている。その一つには近くに住むという王家の貧しい末裔が墓守をしている。城跡にもどる手前には八角形のイスラーム聖者廟(ダルガー)、ハリール・アッラーフもあって、老若男女が願掛けに集まっていた。

 オートでシーク教寺院近くで降りると、シーク教徒のRanjeet Singh君がなんとなくついてきて、あちこち案内してくれる。最後に肉食のできるレストランに連れて行ってもらって、一緒に食事をする。インドの環境にやっと慣れてきた。





聖者廟

かつてのイスラーム王国の都グルバルガ 6日目

2017年7月31日(月曜日)

 朝は5:00に目覚めてします、インドと日本の時差は3時間半、すでに日本では8:30で身体は日本時間で動いている。移動まで時間があったので、バスターミナル近くにバフマニー朝が衰退した後、トルコ系宰相アミール・バリードが興したバリード朝ビーダル王国の墓苑があるので訪ねてみる。一部は史跡公園(入場料5ルピー、早朝は無料)として整備されていて、インド人たちも、昼間の喧騒とは違って静かな朝の空気の中で散歩やヨーガをしている。

 バスターミナルに戻って7:00 発のバスで次の目的地グルバルガに向かった。隣席は英語を解する公務員Patil君で2時間半、退屈しないですんだ。以前泊まった安宿に泊まろうと思っていたが、彼がお茶をご馳走してくれた後、WiFiのあるホテルに案内してくれて、990を850ルピーにすると言うのでそこに泊まる事にする。トイレットペーパーだけは無かったが、新しく日本のビジネスホテル並みの快適なホテルであった。トイレはインド式に水で処理するので、持参した紙はお尻についた水分をぬぐうのに少し使うだけだった。今回泊まった中で500ルピー以上のホテルはどこでも洋式トイレに(タイと同じような)水が噴射する小シャワーのノズルがついていた。

 昼食後、新市街の東側にあるイスラーム聖者廟へオートででかけた。多くの参詣者で賑わっていたが、残念な事にいずれの建物も白いペンキで塗られていてチープな感じがする。後で訪ねたマイソール近郊、シュリーランガパトナにある1787年にティプースルタンが建てさせたというモスクも同様で、オリジナルを尊重する日本人の感覚とは違う。内部はイランの聖者廟(エマームザーデ)の様にガラス細工が施されているが、イランほどの繊細さは感じらない。


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グバルガの墓苑

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ムスリム少年少女


 ここはバフマニー朝政権が1347年に最初に都(1424年ビーダルに遷都)として、ヒンドゥー王国ビジャヤナガラ王国と覇権を争った場所であるが、今は静かな田舎町となっている。その王墓がイスラーム聖者廟から歩いていける所にある。門扉は閉まっていたが、警備員が開けてくれて様々な様式の7つの墓を見学する。インド人も王墓には興味がないようで僕の他に誰もいない。

  続いて新市街の西側にある城塞にあるバラ・ヒサールという砦と内部のアーチが素晴らしいジャーミ・マスジットを見て回る。その一角の古い石造りのバザール(商店)跡は今は貧しい人の住いとなっている。更にその北にあるイスラーム聖者廟へも足を延ばした。途中で立ち寄った茶店の主人は僕にアメリカ人か聞いてきた。日本でも嘗ては外国人=アメリカ人だった様に田舎町で珍しい異邦人をそう思ったらしい。この日訪れた場所は、すべて無料だった。



聖者廟


イスラーム王国の都ビジャープル 7日目


2017年8月1日(火曜日)

 快適なホテルでもっといたかったが、先を急ごう。近くのバスターミナルから8:23発ビジャープル行きに乗って4時間ちかく12:11に到着した。ここは4,5回来ているお気にいりの場所で、今までは安宿に泊まったが、今回はWiFiを備えた少しいいホテル(800ルピー)にする。

 昼食をとろうと知っているレストランを探すが見つからない、しかしBangalore Restaurantという名前に憶えがあって入ってみると、2010年に食べた田舎の食堂が立派な4,5階建てのビルに変身している事に気づいた。息子らしい人がいたのでて聞いてみると、やっぱりあの食堂だった。お代わり自由な菜食のミールス(定食)をお腹いっぱい食べて70ルピーだった。

ビジャープルはデカン地方ムスリム5王朝の一つビジャープル(アーディル・シャーヒー)王国の首都として繁栄し50以上のモスクと20を越える墓廟がつくられたという。特にアーディル・シャーヒー2世の墓はゴール・グンバズという直径38mの巨大なドームで、バチカンに次いで大きいと言う。この日はジャーミ・マスジッドだけを歩いて見てくる。

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ウルドゥー語学校

古都ビジャープルを散策 8日目

2017年8月2日(水曜日)

 早朝6:30歩いて町の東端にあるゴール・グンバズ(右)へ、インド人料金で入れそうだったが、入場券売り場でもう一人がIDを見せろとしつこく諦めた。曇天の中、螺旋階段を登って階上のベランダへでたり、内部にある棺が見下ろせるテラスにあがったりして暫く過ごす。博物館があって入場料は5ルピーだと言うが、小銭の持ち合わせがないし釣りはないという。

困っていると、インド人のグループの一人が払ってくれた。残念ながら館内は写真撮影が禁止。宿に戻る途中にある、前日にも訪ねたジャーミ・マスジッドを再訪し、その近くに名もない廟があって、隣にウルドゥー語で教える学校だという看板がでている。覗いていたら手招きされて見学する事になった。今まで訪ねてきたムスリムが多い地域はウルドゥー語(口語はヒンディー語とほぼ同じ)が通じて便利だった。

 部屋に戻って休憩後、今度は町の西外れにあるイブラーヒム・ローザというモスクと墓廟が向かい合って立つ美しい建造物を見に行く。更に宮廷地区に残るメフタール・マハルという素晴らしい装飾のある建物を見にいくが、残念な事に、大きく名前を刻んだ落書きが目立つ場所にある。今は警備員がいるが、時すでに遅しだ。



ウルドゥー語で教える学校






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インドで買った800Rpの携帯電話とSIMカード



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クトゥブ・シャーヒー墓苑


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イブラヒムローザ入場券


聖者廟。女性は外で。




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ゴール・グンバズ 棺を見下ろす


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