ハイデラバード、ビーダル、グルバルガ、ビジャープル
公開日2017年11月8日(水)
旅2日目 2017年7月27日(木)
前夜24:00に飛び立って、早朝6:00過ぎに(日本との時差1時間遅れ)AirAsia専用のクアラルンプール国際空港第2ターミナル(KLIA2、Kuala
Lumpur International Airport2)に到着、紙のアライバルカードも記入せず90日間有効のビザをパスポートに押してもらい、いつもの中華街へ。そこの常宿Grocer’s
Innで夕方17:00まで休憩し、空港に戻って21:35発ハイデラバード行に搭乗する。他に日本人はいないようだった。
2017年7月28日(金曜日)
深夜24:00過ぎにハイデラバードのラジーブ・ガンジー国際空港に到着、入国スタンプの日付は28日となっていた。空港内で夜が明けるまで仮眠するつもりだったが、いつの間にか外に出てしまった。いろいろ聞いたが、静かで安心して仮眠できる場所が見つからず、空港建物外のフードコートの椅子に座ってテーブルにバックパックを置いて顔を伏せて過ごすこととなる。
長い時間をやり過ごして、市街へのシャトルバスが5:00過ぎに出るというのでやっと4:30に起き上がって、まずはATMでお金を引き出すことにする。成田空港では日本円をドルに両替して米ドル現金も持参したが、今回は初めてすべての費用をクレジットカードを使ってATMで引き出して使った。ウェブにインドのATMの使い方があって、見てきたが、万が一の事があってはと、近くにいたインド人の若者に手伝ってもらう事にした。以後5回、ATMで引き出したが、おかげで自分でもできるようになった。利子と手数料がすこし気になるが、便利である。
明るくなってきた6:00ちかく、市街の調べてきた場所でシャトルバスを下車し、通りかかったオートリキシャー(以後オート)で中央郵便局近くの以前泊まった事のある宿にたどり着いた。
この日は、羽田空港で壊してしまった眼鏡フレームを交換したり、SIMカードを買ってケイタイ電話が使えるようにしたりする事で一日が終わった。まず暫く使っていなかったケイタイの修理が必要だった。ケイタイ電話は2013年に初めてインド製のVodafonの子機(800ルピー、1ルピー=1.7円)とSIMカードを買って国際電話をしていたが、数か月使わないと電話番号が無効になってしまう。
そこでインドに来るたびに新しいSIMカードを買って番号を変え使えるようにする。これが難儀だ。
インド政府はテロを恐れてか、本人確認verificationに種々な書類が必要なのだ。Vodafonではパスポートのコピーと写真は勿論、今回は宿泊先のオーナーの証明が必要だと言われた、しかしオーナーは不在。Airtelではインドの友人がいるかと聞かれ、SIM購入申込書に友人の名前、住所、電話番号を記入すると入手する事ができた(5ルピーだが無料になった)。Activateの手順をメモしてくれて、ホテルの従業員に手伝ってもらってその日の夕方、電話が使えるようになった。宿にWiFiがあれば、タブレットを持参したのでメールで妻と連絡できたが、無い宿ではこのケイタイ電話が役立った(通話料5分で70ルピー程度)。
2017年7月29日(土曜日)
今回の旅はカルナータカ州とタミル・ナードゥ州のヒンドー教寺院や建造物を巡るのが目的だったが、その前にイスラームの4つ町、ハイデラバード、ビーダル、グルバルガ、ビジャープルを巡って、墓廟や城塞などの建造物を見学してきた。日本語のガイドブックにはハイデラバード、ビジャープル以外は取りあげられてないように馴染みのない都市だが、北にイスラーム政権ができた中世に、南インドにもイスラーム5王朝と言われる政権が成立し、いずれもそれらの首都となった重要な街なのだ。
ガイドブックはお馴染みの『地球の歩き方 南インド2014~2015年版』、他に『世界歴史の旅 南インド』(山川出版社)、『インド建築案内』(神谷武夫、TOTO出版)のめざす2州部分のコピーを持参した。一般に南インドと呼ばれるのは主にドラヴィダ語族の言葉を話すケーララ州、アーンドラ・プラデーシュ州、カルナータカ州、タミル・ナードゥ州の4州の地域をさすはずだが、ガイドブックにはおかしな事にアーンドラ・プラデーシュ州はなく、代わってゴア州が含まれている。現在はアーンドラ・プラデーシュ州が2つに分裂した(2014年新たにテランガーナ州)ので南インドは5州である。
この日は、ゴールコンダ城(16~17世紀、デカン高原東部を支配したシーア派イスラーム王朝の城跡)、その様々な様式の王たちの墓があるクトゥブ・シャーヒー墓苑そしてチョウマハラ宮殿(1724~1947、ハイデラバード藩王ニザーム)を市内バスやオートで訪ねて回った。いずれも何も言われず、インド人料金で見学できた。
チョウマハラ宮殿
2017年7月30日(日曜日)
ハイデラバードから北西に約110キロに位置するビーダルはデカン地方最初のイスラーム政権、バフマニー王国(1425年遷都)とその後継国家ビーダル王国の都(1529年から)であった場所であり、ここからがカルナータカ州となる。写真右はグルドワラ、シーク寺院。
早朝6:24のバスでハイデラバードを出発し3時間半、9:50に到着した。渋滞でハイデラバードをぬけるのに思いのほか時間がかかった。インドの都市の多くにあてはまるが、旧市街は古い中世のような街並みを残し発展のしようがない、それに対して郊外には新しい住宅地ができて、その住民のためのショッピング・モールや病院等が併設されている。ハイデラバード郊外も同じで、そこから中心部への高架鉄道も建設中である。
ビーダルのバスターミナル(インドの町外れには必ずあって、各方面へバスが発着)に着いて、以前泊まったホテルやいくつかのけっこういいホテル(1000ルピー前後)を見て回ったが、満室だと言われる。インドも経済が発展しビジネス等で移動が増えていい宿から埋まってしまうようだ。試しにバスターミナル構内にあった安宿をあたってみると部屋があると言う、しかも400ルピーと安くて小ぎれいな部屋だった。受付のそばに二段ベッドのドミトリーもあったが、そちらはたったの100ルピー(170円)だという。
荷物を置いて、早速見学にでかけようとすると、シーク教徒と会って是非食事に来いと誘われた。宿から歩いて行ける所に立派なシーク教寺院、グルドワラがあって誰でも無料で食事ができる。これはシーク教のカーストを越えた平等思想の一貫でランガル(会食)という。近くの町にランガルというインドレストランがあると聞くが、店主はシーク教徒かもしれない。簡単な菜食ではあるが、ご馳走になってきた。
その後数キロ離れた堅固な城壁で囲まれた城跡へオートで行って、モスクや宮廷の建物を見て回る。2010年に来た時はほとんど観光客がいなかったが、今回はインド人観光客で溢れている。インド人も自国の文化遺産に目を向ける余裕が出てきたようだ。但し、至る所に落書きがある。その対策として、以前はいなかった警備員がどの史跡にも常駐している。城壁の南にはペルシアの宰相が1472年に建てさせたと言う壮大なマドラッサ(ムスリム学校)、マフムード・ガーワーンが残っているが、傷みが激しい。更に西にはバフマニー王家の墓が残っている。その一つには近くに住むという王家の貧しい末裔が墓守をしている。城跡にもどる手前には八角形のイスラーム聖者廟(ダルガー)、ハリール・アッラーフもあって、老若男女が願掛けに集まっていた。
オートでシーク教寺院近くで降りると、シーク教徒のRanjeet Singh君がなんとなくついてきて、あちこち案内してくれる。最後に肉食のできるレストランに連れて行ってもらって、一緒に食事をする。インドの環境にやっと慣れてきた。
2017年7月31日(月曜日)
朝は5:00に目覚めてします、インドと日本の時差は3時間半、すでに日本では8:30で身体は日本時間で動いている。移動まで時間があったので、バスターミナル近くにバフマニー朝が衰退した後、トルコ系宰相アミール・バリードが興したバリード朝ビーダル王国の墓苑があるので訪ねてみる。一部は史跡公園(入場料5ルピー、早朝は無料)として整備されていて、インド人たちも、昼間の喧騒とは違って静かな朝の空気の中で散歩やヨーガをしている。
バスターミナルに戻って7:00 発のバスで次の目的地グルバルガに向かった。隣席は英語を解する公務員Patil君で2時間半、退屈しないですんだ。以前泊まった安宿に泊まろうと思っていたが、彼がお茶をご馳走してくれた後、WiFiのあるホテルに案内してくれて、990を850ルピーにすると言うのでそこに泊まる事にする。トイレットペーパーだけは無かったが、新しく日本のビジネスホテル並みの快適なホテルであった。トイレはインド式に水で処理するので、持参した紙はお尻についた水分をぬぐうのに少し使うだけだった。今回泊まった中で500ルピー以上のホテルはどこでも洋式トイレに(タイと同じような)水が噴射する小シャワーのノズルがついていた。
昼食後、新市街の東側にあるイスラーム聖者廟へオートででかけた。多くの参詣者で賑わっていたが、残念な事にいずれの建物も白いペンキで塗られていてチープな感じがする。後で訪ねたマイソール近郊、シュリーランガパトナにある1787年にティプースルタンが建てさせたというモスクも同様で、オリジナルを尊重する日本人の感覚とは違う。内部はイランの聖者廟(エマームザーデ)の様にガラス細工が施されているが、イランほどの繊細さは感じらない。
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