2010 タイ・カンボジア放浪記 その十三
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シェムリアップ旅行記

マーケット,散髪屋,バスでバンコクへ

シェムリアップ発各方面行バス,ナイトバス


毎年どんどん変わっていくシェムリアップ 2010年4月21日

2010年4月22日(木)午前5時48分 快晴  前へ  次へ
今日朝8時のバスでバンコクへ戻る。赤シャツ集会はまだ続いている様子。昨日の晩は熱帯夜をもう一回り寝苦しくした感じで暑くて眠れなかった。足にシャワーで水かけて冷やして寝る。旅も終盤。カンボジア最後の日。でかいヤモリのカッコー、カッコーが聞こえる。

昨日午後散髪した。いい感じの短髪の金髪になる。1$(4,000リエル)だった。最初オールドマーケットから橋を渡ってすぐの川沿いの散髪屋に行ったが2$と高いのでやめる。近くに地元系っぽいバイタクいたので拾って、安い散髪屋へ連れて行ってくれと申し出る。すると引き返すかたちで川を渡り、地元系の散髪屋までつれて行ってくれた。

その後そのバイタクが散髪終わるまで私を待っていたので、彼をつかって市のはずれにあるプサールーまで行く。結構遠く片道1.5kmくらい。往復4,000R。観光客バイタクやトゥクトゥクならそこまで片道3$になる。

プサールー界隈.

オールドマーケット(プサーチア)は観光客に見せるためのマーケットに成り下がってしまい、高いし、観光客向けのおみやげがメインのような感じになっている。プサールーまで行けばギリギリ何とか地元感が漂う。マンゴー3個買って3,500リエル(80円)だった。バイタクはプサールー観光の間も待っていてくれたので往復で2$(8,000リエル)くらい払おうかなと思っていたら支払いの時に向こうから5,000リエルといってきたので5,000リエル払った。これが地元バイタク料金。今後この辺を観光される方の参考に…


プサーチャ(オールドマーケット)は観光客用。プサールーは地元感漂う

シェムリアップからのバス情報もいろいろと調べる。シェム→バンコクは頼む場所によって値段が変わる。ダラの前のバスチケット屋(ダラとは直接関係はないそうだ)はバンコク10$だが、ダラの前のシバタ通りに無数にあるバスチケット売り場をいくつか当たると8$になった。ダラからタケオGH方向に2分ほど歩いた所でアンコール マジック&ツアーというところ。


 散髪屋さん4,000リエル
そのほか大まかにはクラチェ12$、アンロンヴェン6$、プノンペン5$、ポイペト5$。最近ナイトバスなるものができて、シェムを午後8時にでてプノンペン夜11時45分経由で早朝にシアヌークビルに着くというバスも出ている。ナイトバスは他にもある様子。昨日も書いたソーヤバスのプノンペン→パクセーも鋭い。

宿に帰って宿のママさんに今日の分の支払い。その時にママさんから聞いたが、オスマック滞在の時にバイタクから「そこで今日、銃撃戦があったんだ」と言うのが本当だったことを知る。

ちょうど私が滞在していた4月17日にオスマック郊外で2回にわたって、タイ軍とカンボジア軍の交戦があり、タイ側に負傷者が出たらしい。ママさんはネットでその事件を確認したとのこと。私の滞在時に銃声は聞こえなかったような気はするのだが…。

昨日夕方シバタ通り散策するもレストランがみな高い。といっても3$とかなんだが。バーイサッチュルーク2$(8,000リエル)はないだろ。プノンペンで1500リエルだぞ。インド料理屋のカレーも4$、中華の回鍋肉も3.5$。ドルは大量に余って入るのだがカンボジアらしからぬ値段設定にレストランでは食べずに、川沿いまで行って袋飯と惣菜買う。ローストチキンかなりでかめのが4,000R、ご飯どんぶり2杯分1000R、春雨サラダ1000R。

シバタ通りの川方向がかなり変わってしまっていて、ミニGHもなくなっていた。総菜屋屋台群も道の反対側になっていた。1,000Rのご飯は3人前?程あり半分も食べられなかった。

蛇足情報
  • オールドマーケットにもあったでかいタガメのフライ。パタヤのよりふた周りほどでかかった。
  • シェムバンコクのジョイントバスは頼む場所によって値段が変わる。だいたい8$~10$。

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プサールーの裏      地元総菜屋さん プノンペンよりは高め


 
バンコクまで8$ カンボジア側バス  カオサンプラアティット通りにはまだ明るい6時5分につく



 アランヤプラテートのマーケットホテル
午後1時12分 快晴 今アランヤプラテートのマーケットホテルと言うところでバンコク行のバス発車待ち。ダイエット缶コーラ15Bとシェムリアップより安い。ただ料理はお約束どおりの値段。

今朝は8時にお迎えというのに7時45分に宿前に来る。ちょうど朝飯中。せっかくむいたマンゴー半分しか食べられずにあわててチェックアウト。迎えのバスでポイペトへ向かうのかと思ったらそのでかいバスで裏道のツアー会社のオフィスまで連れて行かれる。そこで待つことしばし、小型バスがやってきて8時35分にシェムリアップを出発をする。その後完全舗装のすんだ快適アスファルトロードをバスはとばす。なんとカンボジア側では10分だけトイレ休憩があるだけで、ボリレストランに全くよることなく、ポイペトへ直行。11時35分にポイペトの出国審査窓口前に着く。ちょうど3時間だが、途中車のトラブルで15分ほど立ち往生したのでシェム→ポイペト実質2時間45分。道は日本の舗装道路と変わらない快適さ。ロデオ大会になることは一度もなかった。

またポイペトでは今はケラマックホテル1泊180Bまで歩かなくても国境ロータリー付近にゲストハウスはたくさんできていた。ただいくらなのかは不明。1泊800Bの日本人用ぼったくり宿もあるとも聞く。縁がないので詳細不明。

国境到着後はバスで荷物の受け取りなどでもたつくゆったり組尻目に。1人だけさっさと出国、入国済ませ、タイ側に入って国境周辺をぶらついて情報収集。バンコクからロンクルア直行バス(200B)の画像などを撮る。その時にチキンバーベキューやっていたのででかい奴を40Bで買う。カーウニャーウ5B、水5Bとシェムのぼったくり設定から開放される。バンコクバス待ち合わせ場所に戻ってそこでバーベキューおいしくいただく。食べ終わってもゆったりぐみはまだ半分もやってこない。

そこで待つこと30分くらいで10人ほどが呼び出されバンコクへ出発か。と思うも載せられたのはソンテウのような小型車。

ロンクルアからバンコク直行バス1日4本、200B
アランヤバスターミナルまで行けばもっと頻発.

それでつれてこられてのが今のマーケットホテル。結構きれいなのに1泊250Bからとかなりまともそう。ホームページがありhttps://www.aranyaprathethotel.com 



3020年4月22日午後6時半頃のカオサン 赤シャツ騒動から復活してきている 拡声器の演説も聞こえない。





日付 出費詳細 宿代 合計
4月22日(木) アランヤローストチキン1$ カーイニャーウ5B 水5B マーケットホテル缶コーラ15B 15B コーンアイス25B 

カオサンからのシェム行バスの一部もここで食事休憩とる様子。ここからバンコク行のバスが出るのは2時とのこと。結局国境でもたついているゆったり組待ち。食事はさっき国境でバーベキュー食べたのでコーンアイスやダイエットコーク安いので飲んでいる。このホテルのフロントには日本語しゃべるタイ人のおばちゃんがいる。ワイファイは1時間20B。今隅っこで電源借りてパソコンに向かう。

確かアランヤプラテートからカオサンまで4時間以上かかったはずなので、ここを2時に出るとしてもカオサン到着は6時過ぎか。ただ前回タケオで申し込んだバスより今回のバスのほうがずっと快適だった。エアコン車で必要以上にギュウギュウ詰めでもなかった。何より意味ない休憩が減ったのがありがたい。

午後3時37分 今日も丸一日快晴で強烈に暑い。ガソリンスタンドで給油中エンジン切るとエアコンが止まる。

車内であっという間に汗だくになる。エアコン車なので窓も開かない。客を乗せる前に給油しておく知恵はないのかな?

いまタイ側に入って1時間。地平線までほぼまっすぐな道を時速120kmで飛ばしている。アランヤプラテートのマーケットホテルを出たのは午後2時25分。バスがポイペトに到着してから3時間後。シェムからポイペトまで3時間で、国境でのもたつきが3時間と言うのも微妙だ。カオサン行なので遅くしてバス会社側に特になることは何もない。団体で行くと意味なくトロトロ出入国手続きやっている旅行者がいて、結局彼ら待ちになってしまう。このバス結構ガラガラ。赤シャツ騒動関係しているのか。そういえば今回はアンコール遺跡に以前たくさんいた中国人ツアー客も減った感じする。改装工事シートの影響あるのではないか。労働節前ということもあるかもしれないが。

これからカオサン。出国は私の帰国便は23日早朝なので、23日未明に空港行かねばならない。なので23日は空港に3時間ほどいるだけ。22日の今日が実質帰国日といっていい。その朝までシェムリアップにいることはかなり危なっかしいスケジュール。いつものことなのだがが。今回も最初から最後までテンションバリバリ。別にバリバリにしようと思ってやっているわけではないのだが。

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