2022年3月8日クラビタウンで撮影
健康寿命を延ばす旅 Travel to extend healthy life
15:25 2022/09/15
高齢化社会迎えて、最近「健康寿命」という言葉が注目されている。寿命伸びるのはいいけれど、大病抱えて寝たきりで頭もぼけて、ただ生きてるだけでは悲しい。そんな状態なら100年生きても200年生きても微妙。長期間苦しみながら薬づけチューブだらけにされてただ死を待つだけなら安楽死したほうがましという考えさえある。やはりボケることもなく、健康で自由に動き回れて、たのしいキラキラな毎日送りながら苦しむこと皆無でぽっくりいくことが望ましい。つまりそれが健康寿命を延ばすことだ。そしてそのためにどうすればいいのか。そういう話題も盛んになってきた。
この話題でふと個人的な心当たりが。海外旅での長期滞在は健康寿命を延ばすには最適な環境ではないのかということだ。特に異国で現地の言葉を習得しながら生活は、とにかく刺激にあふれたキラキラ体験にあふれている。年取って日本にいると退屈で刺激のない日々でボケが進行しがちだが、その環境を真っ向からぶち壊すのが異国での長期滞在、現地語習得生活なのではないか。
何より年を取ると、ひねて、感動することもなくなる。誰かに仕組まれた計算された感動にうんざりしてくる。しかし、海外での現地庶民に混ざっての生活は、そんなひねたおっさんに、頭にガツンと一発殴られたような衝撃的な感動体験を提供してくれる。エンジェルフォールやウユニ塩湖やセレンゲティにもそういうガツンと一発はあるが、タイやミャンマーでの地方生活でも同様の体験できる。体験してきた本人が言うのだから間違いはない。
そういいつつも日本で雪が降る極寒季節に、熱帯夜の現地の宿で、天井ファンに吹かれてハッピーという状況だけでも十分なのだが。
←コロナ後海外旅の罠 Road22Top タイグリーンGH→
ディエンビエンフー発タイチャン国境からラオス、ムアンコアへ 川なのに橋がない。なんでやねん。
認知症(ボケ)防止に海外長期滞在で言語習得
Language learning to prevent senile dementia
11:26 2022/09/15
使わないものはいらないものと判断され廃用現象がおこる。いらないので捨てる。シンプルな仕組みだ。なので使い続けて「必要なものだ」「捨てるな」とその仕組みに宣言、命令する。その行為が認知症(ボケ)防止の脳の活用だ。
しかし脳はその必要性がないと使わない。特に年を取ると受験も資格試験も何もないところで脳を活用するのは困難だ。ならば必要性に迫られる環境に身を置けばいいのだ。それが海外生活での現地言語習得なのだ。いい年をした私のようなおっさんに小学生の夏休み学習環境を提示してくれる。言語習得以外でも現地空港や国境でのぼったくりマンとの攻防など「なんとかせねばやばい」ともがくのは海外個人旅行では日常なので前頭葉活用の格好の環境でもある。
ヴェンゲンの宿から徒歩で歩き回る スイス
他言語習得がなぜ認知症防止になるのか
すべてが一から覚えなおし。日常会話のみならず、数字から曜日から動物や虫や野菜の名前、すべてリセット状態で習得開始。予定調和で新しいことが何もなくなった刺激のない日本での日常生活とは真逆。専門知識が必要なわけではない。現地語習得には脳の基本的な、それでいて深い機能が要求される。学校に行くわけではない。テキストあるわけでもない。しかし現地にいるのでかなり強烈な学習環境であることは確かだ。まわりは子供含めてすべて先生。ファンキーな刺激だらけ。こんなボケ防止に最適な環境はほかにない。
膨大な習得量に心が折れるのは受験勉強スタイルで臨むからだ。現地の幼児が覚えるスタイルで臨めばいいのだ。現地の幼児は勉強も努力もしない。幼児期の脳は成人脳と態勢が違うと弁解している時点で習得放棄している。現に年とって習得できている人間は少なくない。日本では珍しいが海外ではマルチリンガルは普通のこと。そして彼らのすべてが幼少期に複数言語習得しているわけではない。
言語習得のコツ。完璧を求めないこと。テストで丸もらう必要はない。極端な言い方すれば、ネイティブ表現的には間違っていても通じればいいのだ。テストで丸もらえる表現でも相手に通じなければ意味がない。文字や文法を後回しにすることも習得を早める。現地の子供はそんなもの覚えず言葉を習得する。それらがなくても会話での意思疎通は可能なのだ。年とっての流動性知能と結晶性知能の逆転は仕方ない。ただ覚えようとする気力は必須。ボケ防止の言語習得は「ゆるく前に進む」でいいのだ。
感情が記憶を後押しする環境。これは現地でしか得られない。机上の受験丸暗記スタイルには全くない習得環境。膨大な量の言語習得の壁に立ち向かえる気力の源泉にもなる。通じてうれしい以上に、通じなくて悔しい思いはその表現を一生忘れないものにする。
パルテノン神殿 ペトラ、パルミラ回った後だったのでテンションいまいち。2004年12月3日撮影。私は20年以上前から金髪。
ごまかしきかないリアル習得環境
メタバースは脳の老化を進めるらしい。脳を誤作動させているわけなので当然か。脳を成長させる刺激には誰かに用意された環境でなく、現実の予測不能で何が起こるかわからない環境が必要なのだ。
例えば本当に死ぬかもしれない必死と、絶対に死ぬことのないVR必死では、潜在領域から発動される力に差がある気はする。
そこまで極端でなくとも、異国に行って言葉が通じないと生活に支障きたす死活問題ではあるのでそれなり必死にならざるを得ない。その状況が前頭葉も海馬も脳のあらゆる機能を活性化させる。
関係ないが「海外旅行に行きます。行き先モルディブです。VRだけどね」で喜ぶ人は将来出現するのだろうか。
脳は何もしないと50歳ころから老化する。また75歳でアルツハイマー発症した方の脳の萎縮は30代くらいから始まっているそうだ。まだ若いと油断できない。委縮した脳は再生不能。避けるには30~40代で脳を使い続けることなのだという。
バンテアイチュマール カンボジア
認知症防止に海外長期滞在で言語習得
現地生活で頑張る必要はない。楽しい海外旅行なのに頑張ることほどピント外れなことはない。ゆるゆる環境でぼーっと過ごしていいのだ。言語習得にわずかでも覚えようとする意志の方向性があればいいだけなのだ。ただある程度の期間の滞在は必須だとは思う。3泊4日滞在で意思疎通レベルの言語習得(マサイ語やシェルパ語やマライアラム語など)は少なくとも凡人脳の私には無理だった。
また現地庶民生活に入り込む必要あるので定番ツアーもちろん、高額ホテル滞在も論外。地元の方しか利用しない地方のローカルホテル利用で庶民に溶け込んでの生活とかがよい習得環境になる。こういう言語習得スタイルの旅の利点は金がかからないこと。
健康寿命を延ばす海外旅
私の場合、旅先でとにかく連日運動する。炎天下長距離歩いて、遠泳してヘロヘロになる。日本でのジムの25mプールでは10往復、500mがせいぜい。サンゴ礁沖のポイントまで往復3km泳ぐことは絶対ない。また遺跡まで往復20km炎天下に歩いて疲労困憊することもない。やろうと思ってやっているわけでなく現地のびー旅生活で自然とそうなる。結果メタボ体形が若者体形に変貌する。ボケ防止の第一推奨行為は運動でもあるらしい。
未知の生活環境で、連日はじめてのことばかり。好奇心あふれるキラキラの毎日であることが、脳も体も若返らせる。この好奇心が高次認知機能を担う側頭頭頂部の萎縮を抑えるのだという。
何より日本での退屈な同じことを繰り返すだけの日々では得られない、小学生夏休み状態の勝手なハッピー感あふれる毎日が送れる。この主観的幸福感も認知症(ボケ)防止になるらしい。
パヤム島 ロングビーチ 乾季に行かねばこの空はない。
さらに加えて、YouTube動画制作編集やウェブページの現地制作もボケ防止にはなる。これが結構煩雑で脳は使う。海外でやって当日公開すれば、機敏で効率的な作業必要なので、より効果が上がる気がする。これもたぶん効率のいい脳廃用防止になる。仕事で義務でやってるのではなく楽しくてやってるところがより効果的。
これらのことから、海外での滞在型格安現地生活(びー旅スタイルともいう)は健康寿命を延ばすのに絶大な効果があるのではないかと勝手に思う今日このころ。
アイガー スイス散歩 グリンデルワルト宿泊よりヴェンゲン宿泊のほうが格安生活できる。
びー旅つぶやき 日々の日記
15:36 2022/09/11
「世界同時不況なので仕方ない」で片づけられる1US$=144円の円安日本弱体化。主たる要因は日米金利差であることは誰でもわかる。しかしその裏にある日本の他国より3歩遅れたコロナ対策に遠因あることには誰も触れない。形だけの鎖国解禁にインバウンドはほぼ動かず。個人旅行ができない(自由のない)金ばかりかかる国に誰が行く?今の日本はコロナ後で動き出している世界経済に見放されているのではないか。私はコロナ対策が他国に追いつくころ円安止まると勝手に思っている。
無駄な小手先やめて消費税なくし累進課税率以前に戻す。理由付け給付でなくベーシックインカム考える等々。根本政策に切り替えるべき時ではないのか。トリクルダウン機能しない時点で、既得権益層の性善説前提は通じないことは証明されている。途上国、新興国の中間所得層より日本の貧困層のほうが可処分所得が低い状況が少子化を加速させていることに気づくべきだ。
ここ30年で進められた累進課税緩めて消費税に転換する逆進性税制は、既得権益にしがみつくことで利を得ようとする方々を増やした。そしてしがみついて得しようとする者ばかりだと、当然国は衰退する。しがみついている方々に性善説前提はそもそも無理があるのだ。個人的には財源確保に奔走するより「無駄をなくした小さな政府への転換」「予算の財源ありきを改めること」が最も効果的と考えるも、宗教団体問題で騒いでいる現状での実現は不可能に近いとも感じる。
「ねるねるねるね」って旧けやきのねるのソロ新曲かと思ったら違った。