2004年10月 カラパタール~ゾンラパス~ゴーキョピーク放浪の日程 | |||
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1日目10/3 | 朝カトマンドゥからルクラへフライト。その後モンジョへ。 | モンジョ泊 | 50Rp |
2日目10/4 | ナムチェ素通りでクムジュン経由サナサへ。 | サナサ泊 | 100Rp |
3日目10/5 | 晴れ待ちと高度順応で1日サナサでゴロゴロ。 | サナサ泊 | 100Rp |
4日目10/6 | サナサ~タンボチェ~パンポチェ(上村) | パンポチェ泊 | 50Rp |
5日目10/7 | アンを雇ってパンポチェ~トゥクラ | トゥクラ泊 | 20Rp |
6日目10/8 | トゥクラ~ゴラクシェプ。後、1度目のカラパタール往復。 | ゴラクシェプ泊 | 250Rp |
7日目10/9 | 朝2度目のカラパタール登頂。その後ロブチェへ。 | ロブチェ泊 | 100Rp |
8日目10/10 | ロブチェ~ゾンラへ | ゾンラ泊 | 150Rp |
9日目10/11 | ゾンラ~タクナック~氷河横断~ゴーキョ 6時間トレッキング | ゴーキョ泊 | 100Rp |
10日目10/12 | ゴーキョピーク往復。後、ドーレまで走り降りる。 | ドーレ泊 | 100Rp |
11日目10/13 | ドーレ~ナムチェ | ナムチェ泊 | 100Rp |
12日目10/14 | ナムチェ~ルクラ 翌日カトゥマンドゥへ | ルクラ泊 | 100Rp |
2004年10月2日(土)PM3:12
ホーリーランドは去年も滞在していて印象は良かったので無理に意地張ってバスで行くことはないかと考える。ところがついてみるとシングル部屋はいっぱいとのおおせ。ツインの5$に泊まるはめに。さっきメモで知ったが去年はシングルに200Rs(約3$)で泊まってた。まあ疲れてもいたし、どうでもいいボリ価格なので文句言う気にもならなかった。 ルクラまでのエアはしっかり去年片道85$だったことをおぼえていて、ねばって往復170US$と去年と同じ価格で確保。最初片道96US$とかいっとたぞ。往復で22$もぼるつもりだったのか?でもルクラまでのチケットを買ったツアーオフィスでおいしい情報ゲット。チベットツアーの情報。156US$でラサまで4泊5日で行ってそこでお開きというファンキーツアー。その後、自力でカトマンドゥに戻るか中国国内をさまようか自由らしい。ちなみに7泊8日で同じようにラサまで行ってエアーでカトマンドゥに戻ると400~500US$かかるらしい。今回はスケジュール上無理だがラサインで中国南部を放浪してベトナムに抜けるのは面白いルートだ。4泊5日中のホテル代やらビザ代やら移動費すべて込みで156$とのことだ。 カトゥマンドゥの自転車タクシーとおみやげやと寺院。 タメルの「味シル」が「おふくろの味」と言う味も素っ気も無い名前に変わっていた。豚カツ定食も140Rsから180Rs(270円)になってたが味は良かった。90Bだと思えば確かに安い。サービスのつもりなんだろうが焼酎のような地酒をショットグラスで持ってきて「どうぞ」だと。もともと酒飲めんのにそう言われて断るのも悪いし… ちびちびやってたらやっぱ標高1400mとあって酔いの回りもよく、いつぞやのシャモニーのワイン並みに酔っ払う。最近夜型になりつつあったが部屋に帰ってすぐ寝れた。今日はゆっくりして体力回復と言ったとこか。ヒマラヤトレッキングの前にしては登る前から体がだるく、軽い頭痛もあったりして… 大丈夫か? ホテル横の立ち飲みコーヒー屋のコーヒーまじーぞ。15Rs。まずいけど一口飲んで帰るわけにもいかんなと思いつつ、すすってるうちに半分なくなる。涼しいんだがなぜか汗ばむ不思議な気温。今朝方猛烈な雨でちょっと来るの早かったかと思うも、今は雲多めの晴れ。洗濯もんの乾きが遅いのは何でだ?ミックスタントゥック55Rs。可もなく不可もなく無難に食えた。今朝のチキンモモ55Rsはいまいち。「蒸し餃子にカレーつけてどーする?」ってのが率直な感想。
この宿去年(2003年)までなかったレストランが新設されてるわ、ソーラー発電で夜通し廊下に薄暗くではあるが蛍光灯ついてるわで、去年よりだいぶ状況が変わってる。ただ部屋には電気は来ておらずろうそくのみ。シャワーも鍋でお湯を沸かしてバケツにくんでのいつものパターンだったけどね。そのシャワー代は100Rs。昨日は疲れていてろうそくの火でこれ書く気力なく寝た。 これからナムチェに向かうがコンディション次第でその先に行くかも。ただ電池充電できるのはナムチェまでだと思うので、高度順化のこともあってどこに泊まるかは微妙。昨日の野菜カレーと卵、野菜チャーハンは結構うまかった。最初チキンカレー注文するもチキンはないとのこと。ここでは肉も、シャワーもぜいたく品。 |
10月5日(火)AM8:22
気分的にもテンション激低。連日のドン曇の天気に気分が萎えてるってのもある。こんなドン曇で山なんて全く見えない状態なのに先を急ぐ気にもならん。やっぱ山に入るのが1週間早かったかも。タンボチェやトゥクラなどの観光客密度の高いとこでゴタゴタしながら宿泊するより、この静かな穴場スポットのサナサにいるほうが賢いかもしれない。とにかく天候回復を待ちながら体調を戻したい。
その時は午前中で移動は取りやめそのままナムチェに泊まった。だが今回はきついながらもやや余裕で突破。ナムチェについたのも午前10時頃。ナムチェはこの界隈では最も栄えている村で、宿も食事もそれなりに充実している。ゴラクシェプで220Rsのミネラルウォーターもここの市場で買えば50~100Rsだ。 ナムチェの村はこんな感じ。今回は飯だけ食って素通り 去年の経験からナムチェを出るとしばらくまともな飯は食えんとの読みで、観光客向けの高めのレストランにてヤクか牛の肉のカレーライスとドーナツ、ミルクコーヒー2杯と高山病とは思えんほどの食欲。60Rsまけてもらって全部で320Rs。で、飯食ってる間に携帯の充電をする。タイまでは高い通話料と引き換えに国際携帯電話としてつながるのだがネパールに入国したとこから電話としては機能していない。SDカードに録音した一青窈と中島美嘉聞くために持参してきた。真っ暗な夜道を歩くときのライトとしても使える。 今の宿(サナサのマウンテンビューロッジ)も水道なし、電話なし、トイレも50mほど離れた坂の上にあり、ダイレクトに肥料として使えるようにトイレの穴の下にはワラが敷き詰めてありそこへ向かってぶつを落っことすというシステム。部屋には電気もなく午後7時には真っ暗になる。ただ来客用のレストランにのみ薄暗くソーラーバッテリーでの蛍光灯が照っている。水道がないんだから当然部屋には流しもなく、うがいや手を洗うのにいちいち2階の部屋からペットボトルに汲み置きの水持って、外まで行ってやらねばならんのが難。夜だと階段部分はまさに漆黒の闇。携帯電話がライト代わりにずいぶんと役に立った。 話はそれたが、ナムチェにて腹いっぱい飯を食った後はまだ元気があったので、そこに宿泊ということは考えず、ブンキテンガくらいまで行こうと再び坂を登る。この辺から猛烈な勢いで雲が増殖をし始めて1m先も見えないくらいの濃い霧、真っ白状態。去年の記憶だとナムチェから先はずっと一本道だし、そんなに坂はきつくなく、ブンキテンガまでは楽に着けるはずだった。しかしその坂がいつまでたっても終わらない。確かナムチェを出た後は初めに少し坂はあったが、こんなに延々と続いていたっけか。周りは自分の足元も見えないくらい真っ白。あれ?さっきまで近くにいた他の登山客もいつの間にかいない。道らしい道もなくなった。これってやばくない?遭難? |
只今遭難中。何とか道を見つけ出す。顔は先生に怒られた小学生になる。暗いけどまだ昼の12時25分。 泣きそうになりながら何とか道を見つけてたどり着いたのはブンキテンガとは全く違う方向のクムジュン。標高4000m近いローカル村。村の子供たちは頭を金髪にしたおかしな格好の日本人を、珍しいパンダを見る目で迎えてくれた。ローカル村の子供たちのしゃべる言葉はもちろん日本語でも英語でもネパール語でもない。シェルパ語だ。前回訪問の時英語-シェルパ語の会話本を買って、今回の訪問前にも目を通してはいたのだが、会話は全く通じず。何とかブンキテンガ方面へはそこから谷を下って行く事だということまでをつきとめる。山に入って2日目でもう道に迷う。一人で登ってるんだから仕方ないか。僕が去年見つけたガイドはパンボチェの上の村(パンボチェには上村と下村がある)在住なのでそこまでは一人で行かざるを得ない。 その時は疲れたとか言ってられる状態じゃなくもう歩くのに必死だ。人里にたどり着いたので遭難の危機は脱したが、とにかくそのわけのわからん迷路から脱したかった。そして子供たちに教えられたその谷を下っていった。ふと気づくとからの竹かごを背負った小学3年生って感じの子供の一人がついてくる。その子も谷を下る用事があるのかと思いきや、ただ珍しいパンダに興味があっただけだったらしい。シェルパ語と日本語の的を得ない会話をしながらしばし道連れとなる。谷を下って人里が見え始めると「あそこの村があんたの行きたがってた村だよ」的なセリフを残してその子はクムジュンに戻っていった。とりあえずガイドしてもらったので50Rs別れ際にあげた。そのたどり着いた村が今泊まってる宿のあるサナサだ。谷を下りて着いた先の標高が富士山頂と同じってのもファンキーだ。しかも山に入って2日目。そりゃ体調も崩すわな。今も窓の外はガスで曇り遠景真っ白。たまに視界3mって感じもなる。開けた窓から雲が煙状態で入ってくる。
PM4:06 午前中お昼寝。1日ぐでる。体調回復しつつあるもまだ頭痛は残る。さっきララヌードルスープなるものを名前の響きのよさから期待をこめて注文するが出てきたのは中国製のインスタントラーメンだった。60Rs。標高3600m以上あるのに低緯度なため、このあたりはまだ森林状態。何にもないし、不便だし、標高のせいで頭痛いし、毎日きつい坂登ってばっかだし、何でこんなとこに来ちゃったんだろ。おまけに連日のドン曇。これってなんかの罰ゲーム?俺別にゲームに負けてないけど…こんなとこで1日2日ぐでってても急に赤血球の血中濃度上がるわけないやん。ここまで来ると昼でもTシャツ1枚ではいられない寒さ。夜は布団のほかに方一枚毛布がないと寝られない。せめて去年のような景色があるなら、それらの代価として余りある元気の元となるのだが。この灰色の薄ら寒い風景はただ気力を奪っていくのみ。鉛色の雲が流れていくのを見ているとなんかこの天気後1週間は続きそうな気分になってくる。夜が来る。テレビや音楽のみならず明かりすらない夜。ほんとに何でこんなとこに好き好んで来ちゃったんだろう。 |
10月6日(水)PM7:54
晴れているとその眺めは結構強烈なテンションがある。なるほどだからここはマウンテンビューロッジって言うのかと納得。晴れ待ちと高度順化を兼ねて2日泊まったにもかかわらず宿を出る直前にそのことを知る。あの眺めで1泊100Rs(150円)。いろいろ難はあってもやっぱり安いよね。結局150Rsのミネラルウォーターや飯代やらで今朝の清算は610Rs。その前日は535Rsだった。宿代飯代全部含めた総額で1日約900円ってとこか。
でも実質歩いたのは5時間くらいか。昼前にはヘロヘロ状態でパンボチェへ。シュレデワロッジはパンボチェの上村のそのまた上の方だと今日気づく。午前中のトレッキングは去年のような雲ひとつない快晴だったが、午後は結構雲が出た。
道を間違うと2時間かけていったところを2時間かけて戻らねばならず、結局半日が無駄になってしまい、気力も体力もすり減らしてしまうので効率が悪いということに去年はここで気がついた。ヒマラヤなので下手に道に迷うと生きて帰れなくなるって可能性もなくはないし。 |
あれ?高山病はどうなったんだ?でも晴れた山の風景見ればそんなもの吹っ飛んでくよね。とにかく後は天気次第。曇りの日にカラパタールに登る気はないし、ゴーキョにチョララ経由で行くかどうかも未定。ただ今のところ天気の復活と元気の復活が同時にやってきた感じだ。サナサでの晴れ待ちの2日はいい高度順化になったようだ。 |