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シリア個人旅行 アンマンからダマスカス経由パルミラ訪問旅行記

びー旅ロード116 シリア旅行記 パルミラ

ヨルダン、アンマンからダマスカス経由パルミラへ

シリア パルミラ遺跡

シリア 中東訪問の旅行記 2004年11月~12月の19日間syria palmyra

シリア パルミラ遺跡
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2004年11月~12月の19日間中東訪問旅行記 Syria Damascus

2013年7月26日(金)
外務省からシリアに退避勧告が出て久しい。この状態は今現在も継続中。

私は2004年11月まだそういう状態になっていなかった頃のシリアを訪問した。ただその頃はその頃で日本人旅行者3人組がイラクでアルカイダに拉致されたり(04年4月)、その後別のバックパッカーの首切り(04年10月)動画がネット上に出回ったりした直後だった。シナイ半島でも私の訪問前2週間前に爆破テロがあったばかりという状態。ネット上にこういうワードを羅列すると米国当局NSAからびー旅サイトがマークされそうじゃ。

先日ふとしたことからとある方とメールでヨルダンからのシリア陸路入国の話になる。しかし私は2004年当時どうやってシリアに陸路入国したか詳細を思い出せない。それで自分の記録をびー旅で見直そうとするもそのシリア訪問の記録がない。びー旅のシリア情報はエジプトのおまけでほんの少ししか扱っておらず、私のその頃の旅日記もヨルダンのぺトラまでで途切れてしまっていることに気づく。2004年中東を放浪している当時パソコンはまだ持ち歩いておらず、日記はノートに手書きで書いていたので詳細情報はウェブ上には公開されてないが記録としては残っている。ということでせっかく当時の記録があるので今回、昔話としての2004年シリア、パルミラ訪問の記録を公開。

2011年1月26日に始まったシリア内戦以前とそれ以降では現地の状況は全く違う。なのでこのページの情報も含めて2010年までの旅行情報は現状に全くそぐわないことを念のために最初に言っておく。


シリア パルミラ遺跡
言うまでもないがよい子も悪い子も2013年現在シリアには決して行ってはいけない

難民170万人、死亡者数10万人超。激化するシリア内戦 BBC 2013年7月25日

ヨルダン ペトラ遺跡

私は2004年11月17日~12月5日、カイロイン、アテネアウトのアエロフロートFIX往復総額49,000円の航空券でエジプトから中東を放浪していた。この頃はまだ燃油税はなかった。最終的な支払いは航空券代往復49,000円、成田空港税2,040円、ギリシャ出国税5,000円で合計56,040円(アドバンストラベル)だった。

格安航空券FIXなので帰路便出発の12月5日までギリシャのアテネまでなんとしてもたどり着かねばならない。そしてそこでその帰路便フライトに間に合わねば日本に帰れなくなるいつものお約束パターンでの放浪だった。この時にはエジプトが目的で行ったのだが、帰りフライトがカイロアウトだとシェレメチェボ(モスクワ)で12時間待たされるので乗り継ぎ3時間ですむアテネアウトにした。写真上はヨルダンペトラ遺跡エド・ディル。

19日間でエジプトのピラミッドもアテネのパルテノン神殿も回っておまけでヨルダン、シリアの遺跡をも回る感じだった。しかしこのルートは、たった19日間で陸路でゆるゆる回れるようなルートではなかった。帰路のアテネ発の帰国便を逃せない事情から後半のシリア訪問は時間に追われての弾丸となる。その結果ヨルダン、アンマンからシリア、パルミラへの1泊2日の陸路弾丸往復をする。シリアビザは事前に六本木のシリア大使館で2700円で取得していた。



ピラミッド正門までタフリール広場のバスターミナルからミニバスで1£(20円)
今(2013年)はタフリール広場は違う騒動で有名になってしまった。

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大まかなルートは「カイロ→ハルガダ→シャルムエルシェイク→ヌエバア→アカバ→ワディームーサ(ぺトラ)→アンマン→ダマスカス→パルミラ→アンマン→アテネ」。写真右はハルガダ発の紅海シュノーケリングツアーでよる沖の島。

2006年2月4日ハルガダ沖で1400人の乗ったフェリーの沈没事故(185人死亡)のあった同じ海域のルート「ハルガダ Hurghada → シャルムエルシェイク Sharm el-Sheikh 」でシャルムエルシェイクへ。沈没事故の起こる2年前だがこの時も海が荒れてフェリーが出港せずハルガダで2日足止め食った。無理に出港して沈没されるよりは足止めのほうがまし。見知らぬ町での2日足止めに比べればLCCディレイ欠航なんざかわいいもんだ。

また私の訪問2週間前に爆破テロがあったシナイ半島の都市はヌエバア(Nuweiba)。訪問時テロのおかげでゴーストタウン状態だった。シャルムエルシェイク(Sharm el-Sheikh)発ヌエバア行のバスはボートの出たあとの夕方にヌエバア到着。爆破テロのあったばかりの町に1泊する羽目に。泊まろうと思って泊まったわけではないんだけど。

以下当時の旅日記。この日記の直前までの日記はエジプト旅ログ3へ



ヨルダン ペトラ遺跡
ヨルダン ペトラ遺跡 山の上にあるエド・ディル(上)と谷底にあるエル・ハズネがある

アンマン滞在 ヨルダン旅行記 Jordan Amman

2004年11月29日(月)PM7:55
アンマンのダウンタウンの安宿ハンドックカセイシャル(1泊4ディナール:600円)にいる。インサイドシャワートイレで水は出るがお湯が出ない。今のヨルダンの気温で水シャワー浴びるなんて無理。なのでシャワーあっても使えない状態。

ようやく今日懸念のアテネへのフライトが決まる。12月2日木曜日発。アンマンからアテネへのフライトは毎日なく木、日のみ。税とカード手数料3%入れて170ヨルダンディナール(カード会社からの最終的な請求額は26,350円)。高いけどアテネからモスクワへのアエロフロートの帰路便は逃すわけに行かないので仕方ない。ツアー会社のおじさんは年末近くビジーシーズンになっているのでと言い訳していた。

この日程だとアテネで2泊できる代わりにシリア入国がかなりキツキツになる。一歩間違えると日本への帰国便すべてパアになるところが怖い。チケット手配したツアー会社でダマスカス→アテネもいくらか聞いたが400JD(ヨルダンディナール、約6万円)。でアンマン発に即決。ダマスカスまで行ってそこで手配すれば安くなるかもしれないがその余裕なし。


とにかく明日朝一でバスでダマスカスに向かい、そのままパルミラへ向かう。7時間は覚悟せねば。「パルミラ行った後にレバノン行ってキプロス経由で船でアテネ入り」などとこの日程ではとても無理だといまさら思い知る。

アンマン市内には結構テンション高い遺跡がある。夕方円形劇場(写真左端)とかの市内の遺跡に行ったが2世紀に作られたものとは思えないつくりと完成度。この円形劇場は6000人収容できる規模らしい。そういう遺跡が市内に普通に無造作にあるのがエキセントリックだ。

今日、チキンのハーフ、コーラがセットでついて1.75JDだった。昼はマヨネーズポテトを地元パンにつけて食べるセット。紅茶2杯飲んで0.8JD。ジュースやでぶどうジュースと思われるのを0.1JD(15円)で飲んだがむちゃくちゃうまかった。エジプトよりヨルダンのほうが私の肌にはあっているのか。

◆ヨルダンの通貨
1JD ヨルダンディナール Jordan Dinnar
= 1000フィルス(Fils)= 100ピアストル(Piastre)= 100ギルシュ(Girsh)
1ヨルダンディナール = 140.28円 (2013/07/25)  2004年当時は1JD =約150円



夕暮れのパルミラ


ただ寒いのがつらい。サンダル履きの足がしもやけになりそう。アンマンはイラクの日本人旅行者人質事件で話題になっている町とは思えない平和な町だ。今週末には日本なので手持ちの携帯電話で日本の友人に電話をかける。アンマンからケータイで六本木に電話できるのは実にファンキー。

ワディームーサ(ペトラ遺跡の拠点の町。私はこの時エジプトのシャルムエルシェイクからシナイ半島をバスとフェリーで北上していた)からアンマンは3時間、2ディナール(300円)。ワヘダットというバスターミナルが市内から離れていて閉口したが、ボリタクにつかまらずミニバンバスにて150Fils(0.15JD)でバスターミナルまで行ってそこから長距離バスでアンマンダウンタウンにたどり着く。

ここから先は毎日が移動日。安全確実に帰国するにはアンマンでおとなしくしているのが最善策なのだが、せっかく日本で2700円も出して取ったシリアビザも無駄にしたくない。


ヨルダン・シリア陸路国境越え Syria Boader

2004年11月30日(火)PM8:20
干したナツメヤシの実がうまい。日本ではお好み焼きソースの原料に使われるらしい。あのドロドロ感、なるほどと思う。味は干し柿。黒いの丸いのウィンナー状のいろいろ種類がある。250gで1US$。かなりの量で一度には食いきれん。

今日朝7時にアンマンの地元宿ハンドックカセイシャルを後にする。出口の門に鉄柵があり鍵がかかって外に出られん。ギャーギャーわめいて門番たたき起こし鍵あけてもらってチェックアウト。

ホテルのすぐ前の通りで流しのタクシー捕まえてアブダリバスターミナルへ。ダマスカス行きのバスを探すも見つからず。近くの地元の方捕まえて聞くが幼児レベルのアラビア語がうまく通じない。かろうじて通じても一人一人言うことがすべてばらばら。

安くは行きたいがこちらには時間の制約がある。ここで長時間待たされた挙句、地元バスでトロトロ行ってパルミラ滞在を短くするのは賢くないと判断。セルビスという乗り合いタクシーで先を急ぐことにする。セルビス乗場はバスターミナルすぐそば。既にセルビスは複数台客待ちしていた。そこで30分ほど待つもシリア国境へ向かう客は私一人だけ。同乗者が現れない。ダマスカスまでは一人7JD(1,050円)で4人集まらないと出発しないという。


この状況だと3時間待たされた挙句、結局4人分払わされる可能性あるなと踏んで一人で貸しきることにする。28JDを28US$にまけさせて7時30分頃シリア国境へ。ちなみに帰り反対方向の同ルートはローカルバスで325SPだった。

ヨルダン・シリア陸路国境は若干もたつきはあったが、やっぱ個人貸切のタクシーは早い。途中バスらしきものは全く見かけなかった。国境の駐車場にもバスはなく、イミグレもガラガラ。朝混む前にタクシーで国境通過したのは正解だったか。ただ60ページ近くある私のパスポートを必死になってイスラエル国境通過の痕跡を探していた。それ以外はあっけなく国境通過。

ダマスカス市内到着は10時30分。アンマンからの所要はちょうど3時間。アンマン~ダマスカスの距離は180kmほど。タクシーなので早い。

タクシーなんだからきっちりパルミラ行きのバスターミナルまで行ってくれればいいものを途中で「あのミニバンバスに乗れ」と降ろされる。何でもダマスカスにはたくさんバスターミナルがあってヨルダンからのタクシーは行けるバスターミナルが決まっているとのこと。本当かどうかは不明。ただそのバス代はドライバーが払ってくれた。

ハラスターへ行けといわれていたのに、ミニバンバスの中では「パルミラ行きはそこじゃない」と言われアッバースディーンというバスターミナルに連れて行かれる。アッバースディーンで待つこと1時間半。デリゾール行のローカルバス現れる。このデリゾール行に乗ってパルミラで途中下車になる。料金75SP。


ダマスカスからパルミラへ Damascus

バスはダマスカスを出て快適に瓦礫砂漠のアスファルトロードを飛ばす。途中の高速道路分岐の標識「バグダットはこちら。イラク国境160km」の標識がアラビア語のほかに英語表記もされていて旅の情緒を盛り上げてくれる。ダマスカスからパルミラは直線距離で220km。

実は私は自分の乗ったデリゾール行バス乗車時、途中下車することを知らなかった。砂漠の真ん中のトイレ休憩レストランで回りの方にアラビア語で「パルミラまであとどのくらい?」と聞いたら「ここがパルミラだ」との返事。ぎょっとしてドライバーに確認。そこで初めて途中下車することを知る。他の乗客は皆デリゾールへ向かう客でパルミラへ行くのは私一人だけだった。

もう少し確認遅れたら危うくデリゾールまで連れて行かれるところだった。ちなみにパルミラからデリゾールまではそのバスで所要3時間とのこと。そのサービスエリアは回りに何もない砂漠の中だったが、ちょうど待機のタクシーがいてそれでパルミラに連れて行ってもらうことにする。まだアルカイダがバリバリ活躍している頃のイラク国境近く、シリアの砂漠に一人取り残される状況は何とか避けられた。

しかしその車、タクシーとは言っているが、メーターも何もないオンボロ廃車改造車。その辺の地元の方の車に乗っけてもらっている感じだ。その時はそこからパルミラの町までどのくらいか検討もつかない。タクシーの言い値は2$。所要は15分くらいだったのでまあ良心的。そうしてようやくパルミラの町に着く。時間は午後4時少し前。


故あって誰もいない遺跡

パルミラの町は歩いて回れる距離に安宿が複数あって私はサンホテルという宿にチェックイン。1泊200SP(4US$)。昨日とまったアンマンのお湯の出ない地元宿1泊4JD(6US$)は高すぎ。後日追記:2004年当時は1シリアポンド SYP = 約2円だったが、現在は1SYP = 0.94770円 (2013/07/25)

宿確保後、しっかり夕暮れのパルミラ遺跡を徒歩で回る。パルミラの安宿からパルミラ遺跡は徒歩で行ける。遺跡も徒歩で回ることができる。部分的に入場料払うところもあるがほぼ無料で遺跡観光ができる。「らくだに乗らねえか」と営業はされるけど。

とにかく1日でアンマンからパルミラへセルビスと地元バスで到着。朝7時半に出て夕方4時に到着なので所要はバスターミナルでの待ち時間、国境通過時間も入れて8時間半だった。2日ぶりにお湯シャワー浴びれてほっとする。1週間前まで紅海リゾートで泳いでいたなんて信じられん。シリアの山々は遠くに雪が積もって見える。



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パルミラからダマスカス経由アンマンへ

2004年12月1日(水)
アンマンのクリフホテル1泊5JD。トイレシャワー共同。ここは首切りビデオに登場の日本人や、アルカイダにつかまって痛い話題で有名になった日本人旅行者3名が宿泊していた宿として有名になったらしい。その手の話題で観光名所になっているらしく昨日のチェックインの時にもロビーは日本人であふれかえっていた。

ダマスカスからアンマンへのローカルバスの中で一緒になった日本人バックパッカーのお兄さんがここに泊まるというのでネタになるかなという程度の気持ちで一緒に流れ込んだ。

昨日は早朝からパルミラ遺跡を回る。観光客どころか地元の方さえいない朝のパルミラ遺跡を独占する。ただめちゃくちゃ寒い。砂漠なのだが引かれた水があふれてできた水溜りが凍っている。日本の12月の朝という感じ。パルミラ遺跡は歩いて回れるがかなりの距離を歩き回る。地平線まで砂漠。完全プライベート遺跡状態。ここ数年の周辺国含めた治安状況が観光客を減らしていると思われる。



シリア パルミラ遺跡 円形劇場


朝7時から9時頃まで2時間ほど歩き回って写真撮る。かなりテンションあり。吹きすさぶ風は強烈に冷たく、靴下は履いてもサンダル履きで回るには若干厳しい気温。ぺトラのように入場料も要らず雲ひとつない快晴だったのだが、寒さに耐えられずホテルへ戻る。

すぐにチェックアウトしてダマスカスに向かう。パルミラの町外れのバスターミナルまでタクシーで50SP。AM10:00のバスがいっぱいで乗れず。ターミナルで地元定食コーラ付で120SPで食う。たけえよ。バス代ダマスカスまで115シリアポンド(SP)なのに。行きは75SPだったぞ。砂漠の真ん中で降ろされたけど。なんにせよとりあえず無事11時のバスでダマスカスへ。12時のバスになっていたら15時ダマスカス発のアンマン行きには間に合わなかった。


ヨルダン ペトラ遺跡

所要3時間でパルミラ発ダマスカス行のローカルバスは右も左もわからない未知のバスターミナルにいざなってくれた。アンマン行バスの出るターミナルではないんかい。しかたなくアンマン行バスの出るターミナルへタクシーで行こうとすると100SPといいやがる。足元見られてむかついたのでミニバンバスを探す。

当然だがダマスカスの街中でミニバンバスに乗るような方々に英語は通じず会話はアラビア語のみ。聞いた話によるとアラビア語は外国人にとって習得の難易度が高い言語だそうだ。私は通じればいいのでまともに取っ組み合う気なぞ毛頭ないが。

なんとか幼児レベルの言葉を駆使してミニバンバスを見つけてアンマン行バスの出るターミナルへ向かう。そこまでミニバンバス15SP。ちなみに100SPは200円、15SPは30円。その地元ミニバンバスは市内をかなりの距離移動してアンマン行きバスの出るターミナルへ到着。無事ヨルダン国境越えバスを見つける。ダマスカスからアンマンまで325SP。高く感じるけど6$ちょっと。

そのバスの中で日本人バックパッカーと道連れになる。アンマンまでゆるい旅の話していたので退屈せずに済んだ。日本語っていいな。英語圏の人々には日本語はアラビア語と同等の難易度だそうだ。

シリア・ヨルダン国境で行きは私一人であっという間に出入国済んだ。しかし帰りはバス乗客全員、結構な人数の出入国手続きや形だけの手荷物検査などが終わるまで待たねばならず国境でかなり待たされる。その上いらん免税店で意味なく時間つぶしやがって所要4時間半もかかる。行きは3時間だったのに。アンマンのターミナルに着いたのは夜7時半。真っ暗だったのでそこからミニバンバス使う元気なく、2人だったのでタクシーでバスターミナルからクリフホテルへ行く。タクシー2人で1JD。無事アンマンから1泊2日のパルミラツアー終える。明日アンマンの空港からアテネへ向かう。物価高そうで少し気が重い。



ギリシャのパルテノン神殿近くの円形劇場


●びー旅つぶやき 13:53 2013/07/23


日本の夏は暑い。赤道直下から帰ってきたのに暑さに辟易。そういえば10年9月日本の夏の猛暑のあとにニューデリーに行ったとき、ニューデリーのほうが涼しかった経験がある。雨季で曇っていたせいもあるんだけど。

日本の夏の暑さは海外で遭遇する暑さと違う。出口のない暑さというか気力が萎える暑さだ。気温でいえばせいぜい高くても37度だから、50度近くになるパンタナール(写真右)の農場やアブダビの街中のアスファルトの上に比べれば数値的にはたいしたことないのだが。旅先だと日々のテンションがあるので日本の暑さとは数字にならない気持ちの部分はあるのかも。今年は2月頃から真夏の日差しにあたっている。次は氷点下?のヒマラヤ山篭り。

ネットショップができる。ページ数がたくさんあり結構作るの大変だった。新しくドメイン取るか迷ったが管理面倒なのでびー旅の配下に作る。トマト高けえよ。先日トラジャで1kg50円(ちっこいトマト30個くらい)だったのに何でここでは1個98円なんじゃ。



パルテノン神殿


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115. エアアジアビッグ  びー旅ドットコム  びー旅ロード2013  117. エアアジアジャパン消滅
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シリア パルミラ遺跡

2004年12月1日 誰もいない早朝パルミラ遺跡 極寒シリアの砂漠

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夕暮れのパルミラ 朝7時にアンマンを出て夕方4時前にパルミラについて夕方の遺跡訪問となる。


朝のパルミラ 翌朝7時~9時と極寒のパルミラ遺跡を徒歩で回る。水溜りに氷が張っていた。


アンマン円形劇場 ケータイカメラで撮影。2004年頃は国際通話のできるケータイを海外に持ち歩いていた。今は日本でもスマホもガラケーも持たず。電話は家電とスカイプで済ませている。一度海外通話をスカイプで無料ですると海外でケータイ持つのがばからしくなる。


今は使われていないフセイン大統領の1万イラクディナール札 アンマン定番土産

シリア パルミラ遺跡
シリア パルミラ遺跡


夕日のパルミラ




インドネシア、アンボンのモスク



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ギリシャ アテネ


ギリシャ アテネ 円形劇場


パルテノン神殿 ギリシャ


最近あちこちで世界のビーチベスト10まがいのものに出くわすが私の中では「ここが?」というテンション激低ビーチが上位に入っていて唖然とする。ランキングつけた人がただ単にきれいなビーチを知らないだけなんじゃないの?



インドネシア、スラウェシ島タナトラジャのセントラルマカレ市場でこの量1kgのトマトが50円だった。2013年6月の値段。数日かけて全部食ったが下痢はしなかった。




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パルミラ遺跡の周辺は瓦礫砂漠



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