お金があれば幸せになれる。あればあるほど幸福度は増す。ある意味それは正しい。特にホームレスや生活困窮者にとっては疑う余地のない明白な事実だ。
一方、チャートを1日中見続ける金の亡者系の小金持ちの方々もそうでなければならない事情がある。そうでなければ自分のやっていることが完全否定されてしまうからだ。しかしその一方でお金はあるのに幸せでない人が多数いるのも事実。なぜなのか。
お金があって幸せになれないのはなぜ?
お金があっても幸せになれない典型例は大きく分けて3つある。それは①自由、②健康、③退屈。まず①自由。どんなにお金があっても自由がない場合。仕事や家族等の人間関係から自由を奪われる場合ともいえる。極端な比喩例で、過酷な労働奴隷環境、または、しがらみまみれでの束縛囚人環境にあれば、100億円の資産あっても、金もういいので自由がほしいとなるのは自然なこと。
そして②がお金と健康(病)。なんでもない健康が実は最もお金で解決できない要素を多く含む。喫煙理由でがんになっても過去30年の喫煙なかったことにしてくれと1000億円払ってもその情況は打開できない。がんのような深刻な病状なくとも、高齢になって死に向かう老化は大金積んでも止めることはできない。

ミャンマー南部鉄道の車窓
年をとってくるとその他の健康状態も行動の自由を制限する。寝たきりになるまでもなく、認知症、糖尿病腎不全で透析生活している場合など。たとえ1兆円あっても自由は制限される。酒豪やヘビースモーカーなど若い頃の放埓な生活、「24時間戦えますか」に踊らされて睡眠時間を削るストレス過多の仕事環境で高齢になってそれら深刻な病に悩まされる例は少なくない。
③は退屈。毎日同じことを繰り返すつまらない日々。予定調和に支配されて楽しいことが何もない凡庸な日々が無限に続く。そしてこういう刺激のない日常が老化を加速させボケを進行させる。
チャップリンがライムライトで「人生に必要なのは、勇気、想像力、そして少しばかりのお金だ」と言った。このことばが人々の心に刺さるのはそれなりの理由があるのだと思う。
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お金があればなんでもできる?
通貨は社会を管理、回転させるための不可欠な仕組み。かかわらないと社会生活は不可能。ただ生きていくための社会基盤が整っている現在では、「金がすべて」「金さえあればなんでもできる」と必要以上に通貨管理世界に取りこまれ金の亡者系になるメリットはさほどない。要は「大金がなければ幸せにはなれない」が間違いであることに気づくか否かなのだ。生活できるだけの金があれば人間生きていける。贅沢な生活がなければ生きていけない人間はたぶんそんなにいない。生存耐性のない彼らは小惑星衝突などの天変地異起これば真っ先に滅亡する人種だとも思う。
贅沢三昧の富豪生活の対極にあるミニマリスト生活が注目されて久しい。それには相応の理由があるのだ。私が常々取り上げる「安いほうが楽しい海外旅行」も「金さえあれば海外旅行は楽しくなる」の言い回しと真っ向から背反する類似案件だ。その辺踏まえてのお金と幸せのコアな相関関係について考察する。

シーサチャナライ遺跡
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安いほうが楽しい海外旅行はなぜ存在するのか?
金がすべて。高額払えば楽しい旅が買える。の立場だと安いほうが楽しい海外旅行などあってはならない。しかし実際は私が先日実証した通り、円安物価高、航空券高騰の今でも安いほうが楽しい海外旅行が存在する。「金さえあればなんでもできる」に反する実証になってしまっている。実際高額払ってつまらない旅をする方々、一歩進んでトラブルまみれの旅をして、「金さえあればなんでもできる」と、高額払って解決する方々も少なからず存在する。
高額になればなるほど、豪華な環境は手に入れられるが、そういうものは飽きるのも早い。旅人の趣向にもよる。豪華さよりも味を求める旅行者もいる。さらに高額旅は予定調和の世界に引き込まれ、ありふれたつまらない旅になる傾向も強い。他人の決めたレールの上を言われたとおりに進み、ガイドブックの中身を確認するだけの旅は子供だましの内容だ。私はファーストクラスフライトや空港ラウンジに何の価値も見出せない。それらは確実にエンジェルフォールやウユニ塩湖、モルディブやラジャアンパット、セレンゲティやカラパタールの絶景インパクトには遠く及ばない。
300億円の年収あって、資産30兆円ある富豪に不可能なことは何なのか。金の力で9割の問題は解決できる。しかし1割できないものがある。その1割が結構強烈な心折れる内容なのだ。
大富豪が金で解決できないこと。たとえば、体力ないのにマラソン大会で1位とること。勉強嫌いの息子を学年一番にすること。癌で余命宣告されているのに完治をのぞむこと。それと同様に安い方が楽しい海外旅行はどんなに金をかけても実現することができない。いったんそのモードに切り替えてしまうと、金をかければかけるほどつまらなくなるのだから。

シリア パルミラ遺跡 アラビア語得意ではないが何とか訪問

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タイ滞在1カ月いくらかかる?
2025年12月1日~12月31日までの1カ月のタイ滞在費はホテル代、食事代、ツアー代入れても5万円かからなかった。その実録詳細を公開。
金があれば大学の裏口入学はできるが、学年1位の成績をとることはできない。運動音痴のメタボが大金積んでもオリンピックで金メダルは取れない。お金で何とか出来る世界の外に出ると、どんなに金があってもどうしようもない世界が思いのほか多く存在する。
高額旅行の難点はへこついて頭を下げてくる人間が、その人でなく、その人の持っている金に対して頭を下げている場合も少なくないという事。観光地のぼったくりソンテウの数百円の料金交渉決裂で10㎞とぼとぼ歩いていて、ヒッチハイクしているわけでもないのに「乗ってけよ」と声をかけてくる地元の方の親切。金を払おうとしても受け取らない。「私の好意をそんなもので台無しにするな」というスタンス。それに対する心の底からの感謝の気持ちは高額旅行では決して体験できない。現地の方の金ではない純粋な好意は大金払う時点で遠ざかって行ってしまう。
安いほうが楽しい海外旅行はなぜ存在するのか?
「安いほうが楽しい旅行」は海外でしかできない。日本国内旅行では安いほうをそれなりにする結界管理が完璧で、金をかけないともれなくみすぼらしい旅になる。典型例が「青春18きっぷ」。海外旅行の特に新興国の庶民物価生活にはその結界管理が及ばないので、安いほうが楽しい海外旅行が成立する。
「金さえあればなんでもできる」モードの海外旅行は予定調和のつまらない旅を招く。30万円スイートやファーストクラスフライト、空港ラウンジくらいしか自慢できない海外旅行は、つまらない旅をしている公言に等しい。肝心の旅の内容がすべて陳腐なガイドブックレベル。それを最初から望んでいるのなら問題はないが、そうでない、そんな他人があつらえた豪華さなどどうでもいいので強烈なインパクト体験したいというタイプの旅人も少なくないとも思う。
「安いほうが楽しい海外旅行」は「金さえあればなんでもできる海外旅行」の対極にある旅だ。なので「金がすべての旅」とは違う異次元世界を体験できる。「ここは昭和初期?江戸時代?いやひょっとして縄文時代?」のタイムトラベル気分も味わえる。ただこのスタイルの旅は、気力体力、言葉、旅の立ち回り、カモオーラ指数など旅人側の態勢で内容が大きく変わる。人によってはトラブルだらけの旅になるので、すべての方に勧められる方法ではない。高額かけて旅をしたほうがいいタイプの旅人がいることも事実。
「安いほうが楽しい海外旅行」は、チャップリンの言った「人生に必要なのは、勇気、想像力、そして少しばかりのお金だ」のコアな部分を体現する旅でもあるような気はする。

夕暮ピッサヌローク2025。1泊500円で快適生活中。
びー旅つぶやき 日々の日記
8:52 2025/05/05
消費税減税は高齢者優遇とのネット情報に違和感。誤解を避けるために先に言っておくが、問題の核心は消費税ではない。今困窮する庶民の問題の根底は、既得権益層の庶民搾取の社会構造にある。所得ヒエラルキー上位半分の裕福な暮らしのために下位半分の庶民が搾取され虐げられている今の現状を何とかするべきなのだ。
その象徴的な仕組みが消費税の背後にある。消費税の「逆進性」は古くから言われている常識で、一見平等に見えながら低所得庶民を困窮させる構造になっていることは今さら言うまでもない。根本は庶民搾取の構造変えることだが、その初めの一歩が消費税減税、さらに一歩進んで消滅と言い換えることもできる。ところがこれは既得権益層側の増税につながるので、そっち側にいる彼らは何としても阻止したい。なので「既得権益層対庶民」を「高齢者対若者」に論点をすり替えて、「だから消費税減税はとんでもないことだ」の展開を望む。貧困の若者と貧困の高齢者を戦わせて、自らは高見の見物。しれっと消費税減税見送りとする目論見か。

ラジャアンパット サンドバンク
親ガチャの言葉が示すように、若年層でも既得権益層側にいて今の庶民搾取の社会構造の恩恵受けている方々はいる。高齢者でも米も買えずに困窮している方々もたくさんいる。
少子化が進み衰退していくことがわかっているのに、財源ありきで予算組まれること自体に問題がある。無駄はたくさんあるのに既得権益にしがみつく勢力で無駄を省けない。しがみつくことの生産性は皆無でGDPはどんどん下がっていく。この流れにのせられている限り、今の日本の衰退は止まらない。少子化が進み、日本が弱くなっていくのと、消費税導入、消費税増税が重なっているのは偶然ではないような気はする。日本は幸せな国?ならなんでこんなに自殺者が多いのだろうか。その背景の闇は深い。
どんたくとばんぱく。響き似てる。どんたく2日で200万人、万博は21日で175万人。コンテンツでなく入場者数でしか盛り上がらないのはなぜ?月の石の大きさ1970年の8分の1がファンキー。

ゾンラパス横断中

YouTube動画おとちゃんねる
エアジャパン搭乗2025
2025年2月22日タイ、スワンナプーム空港で深夜発成田行のエアジャパン搭乗の実録。

2022年2月隔離免除旅でロック島に3泊4日する。
21:31 2025/04/27
やっと暖かくなってホッとする。今の自宅のベランダから結構でかい桜の木が丸見え。今年は部屋から出ずに連日お花見状態。風に舞い散って葉桜になるのも日々見てきた。今は緑の普通の木。去年11月引っ越してきたときには桜の木とは気づかなかった。桜は春以外は普通の緑の葉っぱの木なのだ。今世間ではGW。私には全くの他人ごと。
現在も続くコメ高騰は高値維持の意図で誰かがどこかで流通を滞らせているため。これまではそれがどこかが特定できていなかった。しかし、今備蓄米放出後、さらに逆行するように高値が続くことで特定されてしまった。流通操作で高値を維持させているのは「JA全農」とその関連下部組織だった。
備蓄米の入札で9割以上を落札したJA全農が、25日の段階で24%しか取引先に出荷していない。この状況は、みずから米を倉庫に貯めて高値維持させていると言っているようなものだ。
今のコメ高騰の現状を、政府の減反政策のせいにするのは読みが浅すぎだ。そこで論点すり替えると結局「誰も悪くない。政府が悪い」の結論になる。しかし去年の収穫が例年より多い状態で米不足になる矛盾は、減反政策は関係ない。コメ高騰は、誰がどう考えても流通操作が関係している。JA全農が実質中間搾取で高笑いしている背景が透けて見える。高くても売れるのだからその状態を維持しようとするのは商売として正しいのかもしれないが、結果庶民から理不尽な搾取をしている構図になってしまっている。タイで10㎏900円のコメが日本で9,000円はどう考えてもおかしい。タイのビッグマックは日本より高いのに。
米離れが進む。私の場合、高値が続くので明らかにコメの消費が減っている。米を食わずにパンやジャガイモや焼きそばで代用している。今のコメ高騰は、短期的にはJA全農とその下部団体に金が流れてウハウハなのだろうが、長期的には庶民の米離れが進んで米が売れなくなる、自らの首を絞める状況を作っているだけような気はする。

ミャンマー ダウェイ
16:59 2025/04/20
大阪万博ネット情報が連日かまびすしい。その割には盛り上がりいまいちで、騒いで盛り上げようとする意図が見え見えで痛々しい。実際、盛り上げたい管理者側の意図とは裏腹に開催7日間での入場者は50万人で、入場者2820万人目標の半分のペースとのこと。私個人は行く気もないし興味もないのでどうでもいいが、はたで見ていて感じるのは「ここまで闇を抱えた国際イベントも珍しいな」という印象。
なぜ闇と感じるのか。それは日本が衰退していく中、分断した上半分の既得権益層のから騒ぎに見えてしまうからだ。日本国民の下半分は米も満足に買えない生活に追い詰められている状況で、分断上半分の既得権益層のみの捕らぬ狸の皮算用イベントになってしまっている。
大阪府知事が小中学生招待1割拒否に「9割来るのでええやんけ」発言していたが、相応の価値があって結構な入場料を無料にしての招待なら、感謝感激で「ありがとうございます」といいながら10割来るのが普通なのでは?
一方で選挙目当ての給付金が批判をあびている。減税というが、焦点そこではない。低所得庶民から搾取して、既得権益者の裕福な生活のために使われる今の社会構造を変えるべきなのだ。逆進性のある消費税で低所得者から搾取した税金を所得制限なしで、富裕層に3万円の給付は意味あるのか。
ざっくりとした減税ではない。ピンポイントでの「消費税」なのだ。巨額の財源失うの論調あるが、それだけの巨額を低所得庶民から搾取していることの裏返しではないのか。そしてそれが日本衰退の元凶になっている。財源確保には内部留保に課税するとか、無駄に多い政治家や公務員を減らすとか、マイナ保険証や免許証の例のように、簡単に済むことを複雑にしての巨額浪費をやめるなど先に手を付けることあるような気はする。
庶民搾取は少子化を加速させる。今の政治家の施政は衰退していく日本を救う事より、保身や目先の集票が優先している結果になってしまっている。この反動はそう遠くない将来に大きなつけとなって帰ってくるような気はする。日本は今年インドに抜かれてGDP5位に転落する。