2010 タイ・カンボジア放浪記 その十四
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バンコクホテル格安情報


 

バンコクから帰国

バンコク最後の夜 スワンナプーム空港へ 帰国その後

4月22日のカオサン バスは明るいうちにカオサンへつく

2010年4月23日5時22分 快晴    前へ
今空港のゲート前でのフライト待ち。免税店エリアはかつてのドンムアンのように嫌がらせかというほどエアコン効いているがこのコンコース内はそうでもない。気を利かせているというより、スペースが広すぎて嫌がらせができない状態か。

ポイペトからのバスは午後6時にカオサンのプラアティット通りにつく。まだ明るかった。予定では5時半到着とのこと。反対方向のシェム行カオサンバスも途中よほどいやらしい時間稼ぎをしない限りは明るいうちにシェムにつくものと思われる。提携ゲストハウス引き込みができなくなればカオサンシェム行バスの値段が上がるのは無理ないかもしれない。オスマック国境には日本人どころか外国人観光客がほとんどいなかったが、シェムからのバスには日本人がちらほらいた。

バンコクの赤シャツ集会は民主記念塔周辺に関しては、ソンクラーン前後に比べて勢いは衰えている様子。反比例してカオサンのにぎやかさが戻ってきている。私の感覚では赤シャツ運動はどこかから回りしている感じがして、このまま赤シャツの皆さんが疲労するまで続いて収束するような気はする。一部先鋭化が懸念されるが。

夕暮れのカオサン    .




夕方まだ明るいうちにカオサンについてそのままカオサンに泊ろうかとも思うが、ニューメリーVはシングルの空きはなく、200Bのシャワー共用のダブル部屋しかないという。そこにしてもよかったのだが、やはり豚足定食が私を呼んでいる。チャイナタウンではいいレートでのドルの両替しづらいのでカオサンでは両替だけして53番バスでチャイナタウンへ。キャッシングは150B余計に取られるのでもうしたくなかった。



プレアヴィヒアでも出現でかいヤモリ
カオサンの日本円のレートはそんなに悪くない両替屋で、ドルをバーツに両替して1$=31.49B。そんなにドルは今弱いのか。アランヤで1$=30Bで替えた時にぼったくりと思ったがそんなでもないじゃん。でもアランヤでローストチキン40B買った時に1$払ったらそのまま受け取ってくれたぞ。カンボジアの国境付近では1$=4,000R=40Bが成り立っていたのでせいぜい1B=35Bくらいかと思っていた。カンボジアのドルキャッシングで100$以上あまっている。そこから50$分だけバーツに替える。

両替の後、夕方のいい感じのカオサンの写真が撮れてちょっとご機嫌。パッタイうまそうだったが、豚足定食のために我慢する。53番バスで王宮広場前通ったが赤シャツ集会の勢いは以前より確実に衰えているなと感じた。

チャイナタウンについて宿確保する前に豚足定食を食べる。バンコク最後の夜、豚足ともしばらくお別れじゃ。丸かじりする青唐辛子で口の中が痛かった。


    地平線に蜃気楼

新大中旅社に向かうが、外観だけみて新しくなったのかと思ったが、泊ろうと思って200Bの部屋見せてもらったら以前と同じ極悪独房だった。どうやら新しくしたのは高いエアコン部屋だけのようだ。コストパフォーマンスからMYゲストハウスの160B部屋のほうがましと判断。MY宿泊とする。最後の夜も強烈に暑く寝苦しい夜だった。この日のためだけに持ってきた目覚ましに電池入れて3時半にセットするも自然に目覚ましがなる10分前に目が覚める。

蛇足情報
  • 実質帰国日の朝までシェムリアップにいるといういつものスケジュール。冷蔵庫のない安宿に移ってありがたみを知る。
  • 赤シャツ集会以前続いているようだがカオサン周辺民主記念塔ではかなり収束している感じ。拠点を変えたのか。
  • 帰国後強烈な下痢。ここ10年来遭遇したことのない強烈な症状。「ああ、やっぱあれか」という心当たりはあった。30秒もたっていられないフラフラ状態。パソコンに向かうこともできなかった。2日寝て回復してきたので帰国その後を書く。帰国後もネタ提供してくれる今回の旅はいろんな意味でおいしい。



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宿前から空港までタクシーで233Bだった。高速代が別に70Bで合計303B。チェックインしてから1階のマジックフードポイント行って食事する。カウカームーにしようと思ったのにブースに誰もいなかった。35Bの地元定食たべる。味はいまいちだった。隣のコンビニは一般のコンビにより1割ほど高い設定になっていた。缶コーヒー13Bで買って4階に戻ってチェック前に飲み干す。パソコン開いてワイファイ接続しているので「おお!」と思って表示させてみたら、ネットみたけりゃ金払えの空港の有料ワイファイのHPだった。空港使用料700Bも払っているのだからワイファイくらい無料にすればいいのに。成田にもいえることなんだけど。

23日 タイ時間朝7時42分 日本時間9時42分 今UAの機内。フライト時間は5時間35分とのこと。機内はTシャツ一枚では寒いくらい。映画やってるけどなんか面白くなさそうなので日記書く。この旅最後の日記になりそう。3月下旬にはタイの暑さをを期待して出国したのに、連日の強烈な熱帯夜から開放されるのでほっとしている。勝手なものだ。今朝もバンコクは雲ひとつない快晴だった。

最後の晩餐 豚足定食    .

本格的雨季はもう少し先みたい。赤シャツ騒動は盛り下がっているとはいえ、GWのバンコクへの日本人観光客は激減したままになりそう。この帰国便には日本人クルーが結構たくさん乗っている。大量採用したのかな。ANA共同運行便なのでANAの職員か。

スワンナプーム空港最新情報 10/4/23

空港ビル1階発のジョムティエン行バスの時刻表.。このほかにも公共交通センター発のパタヤ北バスターミナル行のバスもある。

またアランヤプラテート国境行のバスのチケットが空港ビル1階で売っていた。ここで売っているということは多分空港ビル1階から乗ることができると思われる。

マジックフードポイントの値段全体的に半年前より10Bほど値上げ。空港職員用に作ったのに空港利用客がおもったよりたくさんくるせい?びー旅効果か。空港職員にとってはいい迷惑だ。隣のコンビにも市内のコンビニよりは1割ほど割高になっていた。

日付 出費詳細 宿代 合計
4月23日(金) 空港タクシー234B 高速代70B マジックフードポイント地元定食35B 缶コーヒー13B 牛乳11B 


4月25日(日)日本時間午後1時29分 晴   前のページへ  この旅ログの始めへ
ようやくパソコンに向かえるだけ回復してきた。今目黒の自宅。寒い。まだお腹がぐるぐるいっている。普通は帰国後にこの日記を書くことはないのだが今回の旅は帰国してなお旅のネタを提供してくれている。

バンコクの空港にいるときから、調子は少しおかしかった。ただ機内では特に普通に過ごせたし、トイレも小だけ。成田から自宅までもちょっとふらつく違和感はあったが無事自宅までたどりつく。しかしその後だった。強烈な下痢に襲われる。30分おきにトイレに駆け込む感じ。それが延々続く。30分おきだと夜も寝られない。強烈な水様便。米のとぎ汁のような…って赤痢の症状じゃん。もし機内でこの状態になっていたら検疫スルーできなかったかも。

しかもバンコク出国の朝は朝なのに30度で成田到着時には7度。4月下旬なのに?この落差も余計に症状悪化させた。食中毒プラス風邪の感じ。心当たりはあった。バンコク最後の夜、強烈な熱帯夜で蒸し暑く、蒸し風呂状態の安宿の熱風ファンにあたっていた。

バンコク空港ビル1階マジックフードポイント.

前日まで冷蔵庫つきの部屋で24時間冷たい飲み物が飲めたので救われていたが最後のバンコクの夜は冷蔵庫がなかった。暑さに耐え切れずコンビニにコーラ買いにいくも冷えていない。とにかく冷たい飲み物が欲しかった。

それで考え付いたのが屋台のおばちゃんに氷を売ってもらうことだった。さっきクイッティヤウ食べた屋台にいく。そこで氷をもらう。「タックコーク」と何度繰り返しても通じないので変だなと思っていたら、「タックコーク」はカンボジア語でタイ語は「ナムケン」だった。この辺から暑さで頭がぼけ始めていた。



   ピックアップトラックの荷台 プレアヴィヒア
いつもの「ナムケンパオ(2Bのカップに入った氷)」程度の少しだけの氷でよかったのに。閉店間際でいらなくなったせいか、でかい袋いっぱいのカキ氷状の氷を2Bで売ってくれた。この氷でコーラのボトルごと冷やせばよかったのだが、コーラの中身をその大量の氷の袋にぶちまけて、チューチューストローですった。すってる時なんかへんな味はしたが冷たくて気持ちいい方が勝って気に留めなかった。原因は多分これ。

これだけ強烈な食中毒は日本ではまずお目にかからない。以前海外で米のとぎ汁経験あったがその時は2日ほど寝ていたら自然に回復したので、今回も様子を見る。今何とかパソコンに向かえるだけの体力回復する。下痢なのに風邪のような症状で体がだるく食欲がなくなる。食べずに30分おきに出すのでメタボ解消効果抜群だ。今回はそれにタオ島での炎天下トレッキングや12km遠泳などの効果もあって、さっき鏡で腹を見たら10年前の腹に戻っていた。ちなみに今はもう30分おき状態からは脱している、

今回の旅でも泣きそうになることに何度か遭遇した。でもそれは財布を盗まれたときでも、ソンクラーン直前で満員の3等列車に10時間立ち続ける羽目になった時でも、赤シャツで盛り上がるバンコクにパスポートがない状態で足止めくらった時でもない。そういう時には泣いている暇なんかなくて処理に追われてあたふた、または目が点状態。

本当に泣きそうになった時は、プレアヴィヒアからシェムリアップに向かってピックアップトラックの荷台で風を受けて疾走している時だった。いい年をしたおっさんが「初めてのおつかい」の主人公になれるのはびんぼっ旅でだけだ。あと、そう、ダラGHのおばあちゃんがなくなったことを知った時も少しだけ。


プレアヴィヒアからアンロンヴェン


アンロンヴェンからシェムリアップ


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