びー旅ロード 2009 No.035
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途上国の子供の笑顔





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国境閉鎖2003
閉鎖されたタイ‐カンボジア国境をたった一人で通過する 2003年2月の記録


現在は閉鎖されていない正常なタイ‐カンボジア国境 アランヤプラテート~ポイペト

◆国境閉鎖  2009年11月19日(木) 前へ  次へ
09年11月5日カンボジア政府がタクシン元首相を顧問にしたことでタイ‐カンボジア両国関係悪化する。10日からタクシン元首相はカンボジア訪問するも14日にドバイへと出国。これ以上この問題を広げないようとした様子。

タクシン氏は06年9月19日のクーデターで国外に追われた多くのタイ国民に不満をもたれている元政治家。汚職で起訴されるも立件できず、政治家であると同時に現在も資産3億9000万ドルの資産家でタイ国内大企業の大株主でもある。警察幹部→企業家→政治家という経歴をもつ。利権がからむため復権を期待する親タクシン派もいて事情は複雑。

去年08年11月25日に反タクシン派のデモによるバンコク空港閉鎖は記憶に新しい。詳細説明聞くとややこしいカタカナ名が多数出てきてこんがらがるが、簡単に言えばあの空港閉鎖は「タクシン元首相を復権させるな」という抗議行動といえる。そこまで嫌われているタクシン元首相をカンボジアのフンセン首相が自国の顧問としたことで今回の関係悪化となる。

ポイペト カジノ      .

この反感に配慮してか、カンボジア訪問のタクシン氏は14日シェムリアップの空港からドバイへ出国した。我々の見えないところの事情はあると思うが「プライベートジェットでドバイ」というこのスタイルがラーメン1杯26円の国の政治家として反感を買うのもなんとなく想像できる。

さらに一時は両国国境閉鎖の話まで出る。現在は収束へ向かっているようだが両国の関係が以前より悪化しているのは確か。タイ人のカンボジア訪問観光客数は激減しているという。タイ人ギャンブラーあっての国境カジノは閑古鳥が鳴いているらしい。この配置は山梨と教育県長野の山梨側県境に風俗店が林立する状況に似る。


    タイ‐カンボジア国境 アランヤプラテートから6km ロンクルア市場

タイとカンボジアのこの手のいさかいは絶えない。09年4月のプレヴィヒアでの両国軍の銃撃戦も記憶に新しいが、03年には国境閉鎖までに発展した事件もあった。

2003年1月29日~30日、プノンペンで暴動が起こる。タイ大使館が地元民の焼き討ちにあい、その後両国関係悪化でタイ‐カンボジア国境が閉鎖された。発端はタイ人女優の「アンコールワットはタイのもの」というカンボジア人の誇りを踏みにじる発言だった。しかしこの女優にカンボジアに対する悪気があったわけでなく、もともとタイでは学校で「アンコールワットはタイのもの」と教えられているらしい。

女優はそういう教育を受けてきて当然のごとく口にしたようだ。そういう背景がよりカンボジア側には腹立たしかったと思う。どこぞの教科書問題に似ていなくもない。そしてこのプノンペンのタイ大使館焼き討ちにタイ側も態度を硬化。国境閉鎖に発展した。


     ポイペト国境前ロータリー
今回のカンボジア政府タクシン顧問問題で国境閉鎖の話が持ち上がった時、ふとその時のことを思い出す。03年のちょうどその時私はその閉鎖された国境を1人寂しく越えていた。今よくよく考えてみたら閉鎖された国境を越えるのは貴重な体験だったと気づいたので情報としては何の役にもたたない個人的昔話として書くことにする。

越境したのは2003年2月5日のこと。1ヶ月ほどの放浪の途中だった。旅の前半はメーサイ‐タチレク、ミャンマー国境からタイへ入りラオスへ向かった。チェンコーン・フエサイ国境~バクーペン経由でメコン川下りでビエンチャンへ行きそこからバスで再びラオス‐タイ国境越え。その後ナコーンラチャシーマーからバスでポイペトへ向かうという変則的な放浪だった。ちなみにナコンラチャシーマーにはバスターミナルが2つあり、アランヤ方向へ向かうバスがあるのはターミナル2の方。直通ではなくサケオで乗換。

ナコン~サケオ91B、サケオ~アランヤ50Bだった。多分今は若干値上げしている。サケオからはパタヤ、チャンタブリ方向にもバスが出ている。

大使館焼き討ちの事件はビエンチャンの安宿のテレビで知っていたが、国境閉鎖についてははっきりとした情報がなく、完全閉鎖であるとか、外国人は通れるとか聞く人によって回答がまちまち。結局行けばわかるさとアランヤプラテートまで行く。いつもは人であふれているロンクルア市場が誰もいないゴーストタウンと化していた。

はみ出し情報
  • 乾期に入ってベストシーズンのタイ方面。旅行業界関係者は毎度おなじみの定期イベントが起こらないように祈るばかりか。空港閉鎖やクーデターのキーワードに一番敏感に反応するのが日本人旅行者。カンボジアにはデング熱の感染症警告も出ている模様。詳細はこちらへ
  • 11月15日タイ南端ラゲ群で爆弾テロ。7名負傷。先月から定期的にこの手の事件が発生している。
  • 今回のびー旅ロードは当事の日記読み返しながらの記録。その時の日記今読み返すと表現がきつくてとてもそのまま載せられない。今と違ってネット公開を考えてないので放送禁止用語、誹謗中傷連発。それに比べると最近ずいぶんソフトな表現に成り下がってしまった… 


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ピックアップトラック 水泳用ゴーグルと防塵マスクがいる。雨季の豪雨は荷台でみんなでビニールシートをかぶるがびしょぬれになる。

◆国境閉鎖     前へ   びー旅ロードトップへ   次へ
現地でよくよく確認するとやはり国境閉鎖はタイ人とカンボジア人のみに適用されているとのことでそれ以外の外国人観光客は越境可能ということだった。しかしそんな状態になっているのにわざわざ閉鎖された国境を越える物好きな旅行者はあまりいない。カオサン遠足ツアーが催行されているわけもなく、ガラガラのタイ出国イミグレには私1人。タイ側からカンボジア方向へ向かうのが私だけ。逆方向のカンボジア側からはヨーロッパ組がちらほら入ってきている感じだった。ビザもしっかり国境で取れた。その時は時期が時期だけに「20$(約700B)のはずだ」とごねるのはやめて素直に1000B払った。

「その後ピックアップトラックの荷台で快適にシェムリアップへ入った」と当時の日記には書いてある。シェムまで荷台でややボリ価格の120Bだった。越境の時は1人だったのだがなぜかそのピックアップトラックには地元民に混じって日本人が1人いた。NGOでカンボジアに来ていてシェムで日本語を教えているという若いバックパッカー風のお兄さん。思いもかけず道連れとなり荷台で世間話話をしていたのでシェムまでの時間は短く感じられた。

   ポイペト国境 03年の閉鎖中の画像はない       .


2000年頃はプノンペン~シェム間はボートが主流 
日記によると2年前よりずいぶん道がよくなったとある。今の完全舗装状態からは知る由もなし。その後シェムに入り、バイクレンタルして遺跡群を暴走した。バンテアスレイやロリュオスにもバイクで行った。バンテアスレイなどはツーリングにはちょうどいい距離。大回りコースは夕方人がいなくなり風を感じてノーヘル暴走には最適だった。今シェムリアップでは外国人にバイクレンタル禁止(自転車は可)なのでできなくなってしまったが。シェム滞在の後は大使館焼き討ちのあったプノンペンまで足を伸ばすが特にいつもと変わりないゆるい滞在となる。というか滞在期間中そういうことがあったことなど全く意識になかった。

現在シェムリアップ~プノンペン間は快適なバスで所要6時間、料金5$だが、その時は韓国製の廃車バスで11時間半かかったと記録にある。料金6$。しかしそれでも2000年以前はこのルート、道が舗装されておらずものすごい悪路でバスが通れず、オンボロピックアップトラックで12時間以上かけての移動だった。なのでその頃は陸路ではなくトンレサップ湖経由のボート(写真右)での移動がメインだった。このボートは今も運航しているが、今は写真のように屋上に乗ることはできない。

03年当事ビエンチャン~プノンペン間エア片道190US$、陸路でトロトロ行って32US$。その時プノンペン~バンコクはエアで帰った。プノンペンのツアー会社で手配して片道85$だったとある。多分バンコクエアウェイズ(PG:09年10月撤退)。搭乗率5%のガラガラの機内。セスナでいいじゃんの旅客数。暴動のせいもあったかも。その頃はプロモ料金片道22$のエアアジアBKK-PNH便はなかった。

03年のポーチェントン(プノンペンの空港)は2000年頃の「これが首都の空港か?」というデンジャラスな感じが全くなくなっていて別の空港のようになっていた。今のぴっかぴか状態からは10年前の味のある状況はとても想像できないが。

一方シェムリアップ空港(REP)はサムイ島と違ってバンコクエアウェイズ(PG)系列の私設空港でないので他社完全締め出しは不可能。エアアジア便はKLからはREPへの便が既にある。PGは「エアアジアをバンコクからはぜってえシェムにゃあ飛ばせねえ」とのバイタリティーあふれる構え。エアアジアの就航を許したらあっという間にプノンペン路線と同じように撤退余儀なくされるのでPGも必死。結果往復35,000円という思惑通りの展開となっている。裏金調整は自在の国なのでまずは当分安泰か。ポイペト~シェム間の完全舗装が遅れたのも某航空会社の圧力だったとの噂もある。確かになんで通行量のさほどないプノンペン~ストゥントゥレン間の舗装より後回しになったのか不自然ではある。

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ラオス メコン川下り フエサイからバクーペンに向かう途中の風景


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